吉本新喜劇・辻本茂雄「第2の中野浩一」夢見た学生時代から「茂造」ブレークまで半生を語る

総勢6000人にも及ぶ所属タレント、芸人を抱える吉本興業。日刊スポーツ・プレミアムでは、毎週木曜日を「吉本の日」とし、企画インタビューを掲載しています。

おもろいで!吉本芸人

三宅敏、村上久美子

ニッカポッカに腹巻の花紀京さん、「奥目の八ちゃん」こと岡八郎さん(当時)、「誰がカバやねん」の原哲男さん。吉本新喜劇には数々の伝説キャラクターが存在する。現役メンバーでは辻本茂雄(57)の「茂造」も、当代の代表的キャラではなかろうか。やたら暴力的でハチャメチャな行動に出るが、どこか憎めない男。その茂造じいさんが、この夏も大阪・なんばグランド花月(NGK)にやってくる。

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今年の夏も茂造が、NGKに帰ってくる。吉本新喜劇の元座長・辻本茂雄による「35周年特別公演 辻本新喜劇inなんばグランド花月7DAYS」が7月25~31日に開催される。子供からお年寄りまで大人気のキャラクター、茂造。辻本自らアイデアを出し、出演者として爆笑を取りに行く。

辻本 おかげさまで7日間公演も6年目になりました。今回も茂造らしく、ハチャメチャに暴れて、ここでしか見られない舞台を用意しています。これでもかというくらい、笑っていただきますので。

吉本新喜劇を代表する人気キャラの茂造が誕生して20年以上。きっかけは、生命維持装置を研究するという設定で、年老いた博士の役だった。孫を演じたのは山田花子。その後、内場勝則との共演で一気にブレークした。徹夜明けで疲れ切った内場のところに茂造が押しかけ、暴れまくって眠らせないという設定。手の付けられない暴れっぷりが客席の爆笑を呼んだ。

新喜劇の新たな顔に、親交のあった故やしきたかじんさんも注目。「茂造、おもろいがな。仕事を何かさせても(職業に就かせても)ええんやないか?」とアドバイスされたこともあったという。

辻本 ちょうど新喜劇が(マンネリから脱却して)変わっていかなあかん、という時代でした。「茂造~閉ざされた過去・完結編」(2010年3月、大阪・京橋花月)では、松竹新喜劇の渋谷天外さんと共演することもできました。松竹と吉本の初コラボでした。

インタビューで笑顔を見せる辻本茂雄 ※撮影時のみマスクを外しています(撮影・上山淳一)

インタビューで笑顔を見せる辻本茂雄 ※撮影時のみマスクを外しています(撮影・上山淳一)

座長勇退した19年まで、まさにグイグイと新喜劇を引っ張った辻本だが、もともとは競輪選手を夢見ていた。世界選手権個人スプリント10連覇、競輪界のスーパースターだった中野浩一にあこがれていた。

辻本 お笑いを見るのは好きでしたが、自分がその世界に入るとは想像もしなかった。自転車が好きで、近所の子どもたちと競走しても、僕がぶっちぎりでした。周りはスポーツサイクル、僕はママチャリでしたけど(笑い)。中学1年の時は友達と淡路島1周にも行きました、もちろんママチャリで。

高校は自転車の強豪・和歌山北に進学。主将として国体やインターハイで活躍した。しかし、家業(食堂)で使ううどんの鉢を買いに行った母親の荷物運びを手伝うため、家から駅まで自転車で向かう途中タクシーと激突。治療の際に右ひざの腫瘍が見つかった。さらに1年後には左ひざにも腫瘍が。競輪選手になって「第2の中野」として羽ばたく夢は消えた。

辻本 うどんの鉢で大きな挫折を味わったのですが、その後またうどんの鉢が僕の人生を変えたんです。道具屋筋(大阪市中央区)でうどんの鉢を仕入れる母親についてきた時でした。たまたま電柱に「NSC第5期生募集」とあったのが目に入りました。

NSC(吉本総合芸能学院)とは、吉本が新たな芸人を育成するために設立した養成所。辻本が募集広告を見た当時、すでに第1期生だったダウンタウンが大活躍していた。入学を決意し、そこで出会った仲間と組み、コンビとして活動を始めた。

しかし、コンビは解散。89年、新喜劇入りを勧められ、新天地に挑戦する。当時、新喜劇は長年座長を務めてきた花紀さん、岡さんから若手へと世代交代が進めていた。石田靖、今田耕司、東野幸治らが台頭していた激動期。辻本は自らの特徴でもある「アゴねた」でいじられ、笑いを取っていた。

「え~と、アゴ本茂雄さん?」

「辻本や!」

爆笑を呼ぶ必殺ギャグを自ら封印すると表明。「そんなことしたら、出番が減るぞ」と反対の声もあがった。

辻本 確かにウケるんですけど、すぐに「このままでええんやろか」と考えるようになりました。先輩の内場さんのように、しっかり芝居をして、ツッコミも入れて、全体を回せるようになりたい。そして、いつかは座長になりたいと考え、そのためにも「アゴねた」はやめようと決断したんです。

結果、実際にしばらく出番が減った。だが、そこに救いの手を差し伸べたのが、現在新喜劇のゼネラルマネジャー(GM)を務める間寛平だった。

寛平が座長を務める地方巡業に欠員が出たため、急きょ辻本に声がかかったのだ。

辻本 広島での公演でした。舞台で寛平兄さんとからませてもらって、そこから「辻本のツッコミは面白いぞ」と兄さんが広めてくれたんです。うれしかったですね。寛平兄さんとはアドリブばかりなので、今でも前もって打ち合わせすることなく、舞台に出れば大丈夫です。

◆辻本茂雄(つじもと・しげお) 1964年(昭39)10月8日、大阪府阪南市生まれ。高校時代は自転車選手として国体などで活躍。NSC5期。漫才コンビを経て89年、吉本新喜劇入り。95年ニューリーダー。99年座長。「茂造」キャラで大人気に。04年上方お笑い大賞受賞。身長173センチ。7月25~31日、なんばグランド花月(NGK)で「35周年特別公演 辻本新喜劇」が行われる。

97年10月には関西ローカルだった新喜劇を全国ネットで放送する「超!よしもと新喜劇」がスタート。しかし、辻本には「大阪のにおいが強すぎる」と、理不尽な事情で出番を失う。

ここでも寛平が失意の辻本を救う。ぽっかり時間のできた辻本に声をかけ、2人でコントを行った。

辻本 寛平兄さんには世話になりっぱなしです。73歳ですか? いつも新喜劇のことを真剣に考えてくれているし、あんな元気な73歳はいませんよ。忘れられへんのは15年前かな。僕の20周年特番で一緒に護摩行を経験したんです。

阪神の金本知憲元監督らで知られる修行だ。テレビ収録で、寛平とそろって体験した。

辻本 テレビの撮影だったので、適当なところで切り上げられると思い込んでいたんです。ところが、何分たっても終わらない。目の前で火が燃え盛って、熱くて熱くて。寛平兄さんがこちらを見て「いつまでやるねん?」「もう終わろうや」とささやくんですが、僕からは言い出せなくて。終わったら兄さん、えらいヤケドしてましたわ。今だから笑える話です。

インタビューで話す辻本茂雄 ※撮影時のみマスクを外しています(撮影・上山淳一)

インタビューで話す辻本茂雄 ※撮影時のみマスクを外しています(撮影・上山淳一)

その寛平が今春GMに就任し、新喜劇の改革に努めている。若手育成、人材発掘を目的に、セカンドシアター新喜劇や座員によるネタバトルを開催中。総勢110人ほどの新喜劇で出番に恵まれない中堅・若手にもチャンスが増えている。

辻本 僕もチャンスをいただいて、少しずつ成長していくことができた。でも、今に比べたら自分から「こんな芝居をやりたいんです」と会社に売り込むしかなかった。もちろん簡単にOKをもらえるとは限りませんよ。GMは若手にも手を差し伸べているので、そこはしっかり生かしてもらいたい。座長を退いた今、僕から若手にこまごま、助言するつもりはありません。ただ「チャレンジするんや!」という気持ちを大切にしてほしい。失敗したら、もう一度やり直せばええんです。ことし58歳の僕も、必死で新喜劇のことを考えてるんですから。

NGKとは目と鼻の先にある、若手の主戦場、よしもと漫才劇場に辻本がゲスト出演した時のこと。出番を終えたコンビが火花を散らさんばかりに「お前、あそこは違うやろ!」と口論するのを目撃したという。

辻本 「けんかしているのか?」と思うほど真剣に、漫才やコントに取り組んでいる姿を見て「新喜劇ではどうなのか?」と考えてしまいました。

ある夜、出番を終えて串カツ店で食事していた時のこと。たまたま隣り合ったお客さんが「辻本さんですね?」と声をかけてきた。北海道から来て、初めて新喜劇を生で楽しんだ直後という。

辻本 その人が「本当に見に来てよかった」と心の底から喜んでいただいたんです。突然のことで驚きましたが、お客さんにとって僕らの舞台を見るのは初めてかもしれないし、ひょっとしたら一生一度の機会なのかもしれない。だから、全力でやらなあかんのです。

新喜劇入りして33年。座長としてのキャリアも十分。酸いも甘いも味わった。その辻本、表情こそ柔和になったが、内心では変わらず「より面白いものを」をギラギラ燃えている。茂造の登場が待ち遠しい。