東京パラリンピックのアーチェリー競技が27日、夢の島公園アーチェリー場で始まり、05年4月25日のJR福知山線脱線事故で頸髄(けいずい)損傷し、首から下のまひが残っている岡崎愛子(35=日本身体障害者アーチェリー連盟)が、女子個人(車いすW1)ランキングラウンドに出場した。同大2年時に先頭車両に乗車中、107人死亡、562人が負傷した大事故の被害者に。5968日後、パラリンピックの大舞台に立ち「いろいろな人に支えられて、ここまで来られたので、1射1射、感謝の気持ちを込めて丁寧に臨んだ」。377日に及ぶ入院生活以降、13年冬にアーチェリーを始めるきっかけをくれた競技経験者の母を「選手村の日常生活もあるので」と介助役に指名。二人三脚で戦った。

気温34度の酷暑も襲った。「暑さなのか緊張なのか分からないけれど、初めての経験」。序盤は手や指がけいれんし、本来の動きではなかった。後遺症で発汗が出来ずに体温調節が難しいため、時には体温が40度近くなってしまうこともある。ユニホームの下には冷却ベストを着用。インターバルには日傘を差し、小型扇風機や霧吹き、氷なども使用。体の内外から対策して乗り切った。途中から震えは回復。9位で決勝トーナメントへ。「後半は真ん中に当たるようになったし、72射を打ち切れて良かった」と笑顔で終えた。

自身は奇跡的に生還したが、コロナによる1年延期によって命を失い、出場出来なかった仲間の思いも背負う。今年2月に亡くなった仲喜嗣さん(享年60)。チームに“同行”している妻奈生美さん手作りの「仲さん人形」に見守られて力を得たが、「空から見ているのではなく、日本チームで一緒に戦ってほしい気持ちです」。1年間、さらに筋力トレーニングを積んで、矢の速度も増した。50メートル先にある80センチの的(中心10点は8センチ)を射て、メダル獲得に挑む。【鎌田直秀】

◆岡崎愛子(おかざき・あいこ)1986年(昭61)1月10日生まれ、大阪府池田市出身。小学校ではテニス、中学ではソフトボールを経験。高校以降は自宅の愛犬とフライングディスクドッグ競技で全国大会出場。同志社大商学部2年時にJR福知山線脱線事故に遭い、負傷者最後の退院患者。卒業後、08年ソニー入社。14年に退社し、犬のケアに関する仕事を起業。13年冬に母の勧めでアーチェリーを開始。19年パラ世界選手権銅メダルで、東京パラ出場権を獲得。今大会は個人と混合団体の2種目に出場。