笑顔のブラインドランナー、道下美里(44=三井住友海上)が、悲願の金メダルを獲得した。このクラスの世界記録を持つ道下は30キロ過ぎにスパート。得意のピッチ走法で2位以下を引き離し、3時間0分50秒でゴールした。16年リオデジャネイロ大会で銀メダルに泣いてから5年。2人のガイドランナーと大勢の仲間たちの力を借りて、栄光のゴールを駆け抜けた。

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誰よりも早く国立競技場に戻ってきた。道下が最後の直線に出ると、祝福するように雨が上がり、太陽の光が差した。パラリンピック記録でのゴール。ガイドランナーと抱き合い、スタンドに手を振った。サングラスをとった笑顔に、温かい秋の日が降り注いだ。

皇居、浅草寺、東京タワー…、道下は軽やかなピッチ走法で東京の街を駆け抜けた。30キロ過ぎ、首位に並ぶパウトワ(RPC=ロシア・パラリンピック委員会)が給水した時、ガイドの志田淳が声をかけた。「いけるか?」。道下が即答。「いける!」。一気にスパートして引き離した。「あそこで、勝負は決した」と志田は説明した。

前回大会は優勝を狙いながら銀メダルに終わり、レース後に号泣した。「東京で金メダル」。それだけを目標に5年間、厳しい練習をしてきた。1カ月700キロの走り込みで、17年には世界新記録を樹立。昨年は2回も自らの世界記録を更新した。それでも、道のりは決して楽ではなかった。

視覚障がいの道下は、1人では走れない。地元の福岡・大濠公園での練習では10人ほどのランナー「チーム道下」が一緒に走ってくれる。ところが昨年、新型コロナ禍で、外に出られなくなった。1年延期された大会へ気持ちは焦った。

支えてくれたのは「チーム道下」だった。「人がいない早朝なら大丈夫。走ろう」。暗いうちに迎えにきてもらい、市内を離れて郊外で走る。以前は5、6人で走ることが多かったが、2人か、多くても3人。それでも、交代で毎日、誰から走って支えてくれた。

伴走者の手と自分の手をつなぐ「ガイドロープ」。道下たちは「絆」と呼ぶ。走りだけでなく、心もつなぐ。「みっちゃんに金メダルを」という思いは、その「絆」を通して伝わる。仲間に励まされながら、背中を押されながら、道下は金メダルにたどりついた。

この日は、前半ペースを守り、後半勝負をかける作戦だった。前半ガイドを務めた青山由佳は「ペースを守ってくれた」。勝負どころを見逃さなかった後半の志田への感謝も忘れない。さらに「多くの仲間に感謝したい」とも言った。

常に笑顔の道下は「笑っていると、人が集まってくれる。『笑顔は出会いのパスポート』です」という。「集大成のレースができました」。道下は最高の笑顔で言った。【荻島弘一】

 

道下美里(みちした・みさと)

◆生まれ 1977年(昭52)1月19日、山口県下関市生まれ。

◆失明 中学2年の時に角膜にアミロイドという物質がたまる病気で右目を失明。福岡の短大卒後、調理師をしている時に左目も発症。視力が0・01以下まで落ち、26歳で盲学校入学。

◆陸上 盲学校時代にダイエットで始める。体に巻いたロープの端をグラウンド中心に立てたくいにつなぎ、1人円を描いて練習。

◆マラソン 29歳で中距離の日本新を出したが、世界と戦うために39歳でマラソンに転向する。

◆結婚 32歳の時に孝幸さん(建設会社勤務)と結婚。残るわずかな視力で炊事など家事もこなす。

◆強化指定 13年に36歳で日本盲人マラソン協会強化指定選手に。その後は、各マラソンで活躍。

◆入社 14年にパラアスリート支援に力を入れる三井住友海上入り。九州本部業務グループに所属。

◆サイズ 144センチ、36キロ。