東京五輪・パラリンピック組織委員会の中村英正大会開催統括(53)が7日までに日刊スポーツのインタビューに応じ、5日に閉幕した東京大会を総括した。14年5月に財務省から組織委に赴任し、現場のトップとして大会中はメインオペレーションセンターを束ねた。約7年半に及ぶ準備、運営は新型コロナウイルスによる初の延期を経験するなど苦難の連続。無観客を決断した際は「もん絶していた」と振り返った。【聞き手・三須一紀、木下淳】

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-7年半を振り返って最も苦労したことは

「やはり延期決定直後。それまでは工程表があったが延期はIOC(国際オリンピック委員会)も経験がない。(20年4月は)地図がなくて路頭に迷った」

-それでも開幕1年前までに会場計画を決め、次に簡素化、秋以降はコロナ対策と工程表を作った

「各局長との会議でしっかりと話し合った。コロナは全くの未知数。今対策を講じても必ず状況が変化するだろうと予測し、後に持って行った。会場が決まっていないと簡素化も絵に描いた餅。まずは会場を押さえないとと思い、開幕1年前をめどとしたがそう簡単ではなかった」

-なぜか

「職員からは『開幕1年前なんて無理だ』と言われた。『こんな大事なこと先方と会わずにリモートでなんて交渉できません』と」

-簡素化、コロナ対策と工程表通り進んだ一方で、観客の取り扱いはそうはいかなかった

「難しかった。ベストなタイミングは今でも分からない」

-海外客の断念は割とすんなり決断できた

「当時は海外の方が新規感染者数が多く、納得が得られやすかった。選手、関係者と同様に行動管理はしなくていいとは言えない。でも観客の管理はもう、それは無理だった」

-国内観客は当初4月に決めるはずだったが開幕15日前に決まった

「もっと早く決めるべきだったとよく言われたが、感染状況が日々変わる中で何とか観客を入れるためにギリギリの方がより正確な判断ができるだろうと」

-中村さんはかねて「オリパラも社会の一員」と言い続けていたがなぜ、緊急事態宣言時の大規模イベントの上限5000人を適用しなかったのか

「感染状況もこれだけ悪いし、人流も増えるということで無観客とした。ギリギリの決断だった」

-政府、東京都、組織委のどこが言い出したのか

「国も都も地方自治体もそう。押しつけ合っているという見方もあるのかもしれないが、大きなところは一致していた。そうでなければあれだけ短い期間で合意は出来ない。まあしょうがないか、という感じだった。どこかが大きく異論を挟めばもめたかもしれないが、あれだけ早く決まったのは無観客しかないということだった」

-無観客となったことで「東京でオリパラを開催した実感が湧かない」という声が多く聞こえた

「その意見はすごく分かるが、行き着く先はどこだったら良かったのか。中止? 有観客? 難しい。難しいからみんな、もん絶していた。中止しようとなったら大きなものを失う。仮に5000人の観客を入れ、あれだけ感染者数が伸びていたら大会中に無観客となり観客も運営も本当に混乱していたと思う。無観客はやむを得なかった」

◆中村英正(なかむら・ひでまさ)1967年(昭42)12月12日、スイス生まれ。91年東大法学部卒業後、大蔵省(現財務省)入省。在米大使館、フランス・パリにある経済協力開発機構(OECD)などを経て14年5月に組織委に赴任した。