新型コロナ狂騒曲は、一向に終息の出口が見えていない。競輪界でも必死に対策が講じられている。感染対策の1つで、密になってしまう宿舎でのマッサージは、現在どの競輪場でも禁止になっている。

14年7月に引退した宮原高志さん(75期=栃木)は、セカンドキャリアとして整体師の道に進んだ。宇都宮競輪の通常開催と、関東圏で行われるビッグレースを担当していたが、4月以降は競輪場の入館を禁じられてしまった。

宮原高志さんは自宅敷地内に施術用の小屋を建てた
宮原高志さんは自宅敷地内に施術用の小屋を建てた

4年前、自宅敷地内の練習小屋を、施術室に建て替えた。武田豊樹や平原康多、神山雄一郎らが技術を認めたことで、宮原さんのもとには多くの選手が訪れている。「ありがたいことに顧客の98%が選手なんです。最初の1~2年は予約がパンパン。一年中ずっとけんしょう炎で、朝起きるとスマホを操作できないほどでした」。

選手が激痛に耐えながら施術されているベッド
選手が激痛に耐えながら施術されているベッド

一流選手たちが足しげく調整のために訪れた秘密の小屋に入ると、神山、平原のSS班のレーサーパンツが出迎えてくれる。

その左の2番車のユニホームは、宮原さんがラストランで着用したものだ。

「僕は95年に兄(貴之=67期)を追って選手になりました。アマ時代から僕の方が成績が良かったのもあって、兄には負けないと思っていた。でも、とがっていた自分と違い、兄はコツコツ努力できる人。人望もありましたね。だから、僕はクビになってしまったけど、兄は今でも現役を続けていられるんです」。若い頃、ライバル意識をむき出しにしてしまった兄とは、今ではとても良好な関係を築けている。

宮原さんが尊敬する人物は、兄以外にもう1人いる。代謝対象となり、尻に火が付いた時期を支えてくれた坂本英一だ。

「僕の気持ちが切れないように毎日練習に付き合ってくれました。飲みにも連れていってくれたけど、翌朝の練習を休むことだけは絶対に許されなかった。最後の英一さんとの2年があったおかげで、僕は悔いなく選手人生を終われたんです」。

選手を辞めても仲間とは関わっていたい。そんな思いから引退後は、整体の勉強に没頭した。体をリセットして正しいポジションに戻すための整体は、徐々に人気を博していった。

施術室に入ると神山雄一郎と平原康多のSSレーサーパンツがお出迎え
施術室に入ると神山雄一郎と平原康多のSSレーサーパンツがお出迎え

G1開催中に平原康多が毎日受けるというマッサージがどんなものなのか体験したくなった。紹介してくれた選手には「本当に痛いからやめた方がいいですよ」と脅かされていたが、うそではなかった。足の甲や脇の下などは、耐えきれずに情けない声を漏らし、もん絶してしまう。肩こりの改善程度や、癒やしを求めて行ってはだめな場所だ。

しかし、夜中に目が覚めることなく朝までぐっすり眠れたし、慢性的な腰痛はかなり軽減されていた。あの激痛は、時間がたつとまた欲してしまうものなのかもしれない。

宮原さんは強い選手と弱い選手を区別することを嫌う。「僕自身がそういう扱いを受けたこともあった。ランクは関係なく、しっかり選手個々の体と向き合っていきたいんです」。

それでもあえて「強い選手と強くなれない選手の体の違いはありますか?」と聞いてみた。

「体がいいから強いわけじゃない。でも、一流選手たちは自分の体のことを良く知っています。僕のような弱かった選手にも色々と聞いてくるし、いいものは何でも吸収しようと貪欲なんでしょうね」。

最近、宿舎でマッサージが受けられないことを嘆く声をよく聞く。競走参加中のルーティンが崩れてしまっているのだろう。選手の最高のパフォーマンスを引き出すために整体師の存在は必要不可欠。宮原さんらが競輪場でマッサージを再開させられる日が来ることを切に願う。【松井律】