G1寛仁親王牌(10年前橋)とG2を2勝した名選手の市田佳寿浩(43=福井)が、23日に奈良競輪場で引退発表記者会見を行い、23年間の現役選手生活にピリオドを打つことを表明した。

今後は未定だが、指導者を含めて、何らかの形で自転車に携わっていくことを明らかにした。

一問一答は以下の通り。

-思い出のレースは

市田佳寿浩 23年間やってきたのでいろいろありますが、一番といえば、福井記念(10、11年)で尊敬する村上義弘さんとの(別線での)自力対決で優勝できたこと。その村上さんについては、自分は不死鳥と言われていますが、常に一番近くで見守ってくれた村上さん抜きには語れない(むせび泣き)。

-G1勝利(10年寛仁親王牌)に関しては

市田佳寿浩 G1は勝ちたかったし、人生をかけたレースでした(涙ぐむ)

-引退の引き金は

市田佳寿浩 落車のケガが多かったけど、競輪選手だから仕方がない部分もある。でも最後は身体的に引退を覚悟しました。悔いは残りますが、みんなとここまでこれたことに感謝したい。

-決断したのは

市田佳寿浩 今月の12日に(ケガのことを)主治医と相談して、それを家族に持ち帰って話し合いました。家族は「いいよ」って。それから1週間考えて決断しました。妻にはここまで付き合ってくれてありがとうと言いたい。

-弟分としてかわいがっていた脇本雄太選手が、今年のオールスターで待望のG1優勝。続く寛仁親王牌も勝ちました。それについてはどう感じましたか

市田佳寿浩 脇本はデビューしたころから一緒に走っていて、いずれ(G1を)取るとは思っていましたが、本当に良かった。(リオ)五輪も経験したし、次の東京五輪でも頑張ってほしいと心から思います。

-師匠(引退した野原哲也氏)にはどう伝えたのか

市田佳寿浩 野原さんは師匠というよりも父親以上の存在だと思っています。引退の報告をした時は「おつかれさま」と同じ言葉で3回返事がきました。

-今後については

市田 まだ話せることは決まっていませんが、自分がやってきた自転車の世界に何らかの形で携わっていきたい。指導者の道も興味があるし、弟子たちの指導も自分として出来る限りはやっていきたい。