「先月の超過勤務は140時間でした…」
公立中学校の週末の運動部活動を地域クラブなどに委ねる「地域移行」。教員の負担軽減を図ることを大きな目的の一つとして、この4月から国が段階的な取り組みを促す3年間の改革推進期間に入っている。
現場の状況を知ろうと7月末、首都圏の公立中学の教員、佐々木さん(仮名)に話を聞いた。そこで出たのが冒頭の衝撃的な発言だ。
文部科学省が設けるガイドラインで「過労死ライン」とされる80時間を大きく上回っている。部活動改革の前に、あらためて長時間勤務の現実を知ることとなった。
■過労死ライン超え36・6%
労働基準法で、1週間の労働時間は休憩時間を除き40時間と定められている。だが、同省による22年度の調査では、80時間を超える割合は中学で36・6%、小学校14・2%となった。中学の教員は、まさに労災のリスクと隣り合わせの状況に置かれている。
佐々木さんは、さらに自身の身に起きたことを明かした。
「数カ月前のことですけど、深夜に腹痛に見舞われトイレに入りました。そしたら突然、サーッと頭から血の気が引いて意識を失いそうになりました。これはまずい、と思った瞬間、叫んでました。うわー! やばい! やばい! って」
その声に驚いた妻が駆けつけてきた。
「深夜だったので、誰にも気付かれることなく倒れてしまったら、と本当に怖くなりました。大事にならず良かったですが、不安や怖さは今もあります」
教員になって25年を超えるキャリアを持つ。保健体育が専門で、サッカー部顧問としての指導力には定評がある。日焼けした肌が目立ち、見た目は健康そのものだが…。幸い、体調には問題はないという。
■「何でも屋ではもう苦しい」
登校は朝6時半、帰りは夜の9時を回ることもざらだ。授業や部活動だけに終わらず、仕事は多岐にわたる。登下校指導、授業の準備、生活指導、集金の管理、保護者対応、外部との打ち合わせ、さらには学校行事の動画作成まで。「生徒のために」と工夫を凝らせば、それだけ仕事は積み上がっていく。
「あまりにも幅が広すぎる。(同じ公立でも)高校なら、専門の事務職さんがいて事務室があります。だけど中学にはありません。何でも屋になっているのが現状。みんな、何でも屋だったらもう苦しいよね、と思っています」
何より現代社会に則し、カリキュラム(教育課程)も増えている。例えば、地域と連携し、調査したことを発表する「総合的な学習の時間」。これは個々が生き方を考えていくために、その資質や能力の育成を目標にしたもの。また、「道徳」は昨今のいじめ、不登校問題に対応した内容となり、通信簿に記載される評価対象教科となっている。
コロナ禍は学校に暗い影を落とした。デジタル社会で孤立化は進み、学校に生きづらさを覚える生徒が増えてている。ゆえに個別面談や家庭訪問する機会も多くなったという。
「一時、ゆとり世代というのがありました。授業が簡略化され、時間そのものも削られた。体育だったら年間105時間のところ、90時間で良かった。ただし結果的に社会に出てあまりいい言われ方をしない。それによって昔に戻っています。体力的も叫ばれたり。そこにちょこちょこと仕事が増え、そういうのが教員の肩に乗っかっています」
■3年後に部活動廃止の地区も
先月、富山県滑川市で7年前に亡くなった中学教員の裁判があった。「部活動は自由裁量」とする市側の主張を退け、遺族側への賠償請求が認められた。教育現場のブラックぶりが叫ばれて時間はたつが、今なお社会問題の最前線にある。
そして勤務時間が長くなれば、まず矢面に立たされるのは部活動だ。コロナ禍で平日に1日、土日のどちらかも休みと週5日も活動が定着しているが、その上でさらに校長からは「まず部活動を削るように言われています」。
顧問を持つことへの負担を感じる教員からすれば、それは好意的なものだ。だが部活動を大事にしてきた佐々木さんのような側からすれば、受け入れがたい指示となる。個々によって意見が分かれてくるところだろう。
以前にも増して働き方が問われる令和時代、学校は間違いなく変革の時を迎えている。一例を挙げれば、静岡県掛川市のは3年後に部活動を学校から切り離すと宣言している。当該教育長は「教員が大事にしなければいけないのは授業であって、部活動ではない。意識改革が必要」と力説している。
この「部活動廃止論」をどう思うかと問うと、佐々木さんは率直な思いを吐露した。
「正論と言えば正論ですよね。僕らが一番大事にしなければいけないのは授業だったり、学級だったり、学校運営の部分が一番なんですよ。それはもう正論だと思います」
そう言った上で、「しかし…」と続けた。
「部活動があって学校へのやりがいを感じている子だったり、自分も含めて、そういうもので柱を立てて頑張ろうとしてきた人間も一定数います。廃止されたり、縮小されたりしたら、やりがいがないなと感じます。本来の形じゃないかもしれませんけど、授業だとか学校運営だというところのモチベーションも下がります。僕だったらサッカーを頑張れているから、そっちも頑張ろうという気持ちです。それがなくなったら、何をモチベーションに頑張っていったらいいのかという気持ちになります。それは違うよと言われたら、確かに違うのかもしれませんが、それくらい部活動を大事にしている人たちがいることも分かってもらいたい」
■どれだけ残業しても一律4%
少し話の本筋からそれるが、教員には労力に見合う対価が支払われていない。そこには旧態依然とした制度が横たわっている。
「公立義務教育諸学校の教育職員の給与に関する特別措置法」の第三条で、教職調整額として給料月額の4%が定められている。この教職調整額がある以上、時間外手当は付かないことになっている。
つまり、どれだけ残業をしようが4%で済まされてしまう。仮に月給40万円なら残業代は1万6000円でしかない。この4%は、1968年(昭43)度の文科省実態調査に基づき算出された当時の「適正な残業代」であり、それが半世紀以上も変わらず適用されている。
「若い教員と話をしても、やっぱり頑張った分、戻ってくるものが欲しいと言っています。彼らもサッカーが好きだし、やりたい気持ちがある。若い人がみんな部活指導が嫌かと言うとそうじゃない。生徒と目標を共有しながら頑張って、勝つ喜びとか持っている。だけど頑張った分だけの手当がない。そこは僕らと同じく、疑問を持っています。外部指導員に支払うお金があるなら、僕らがほしいくらいです」
■日本のスポーツは「教育」
戦後日本のスポーツは、学校体育を入り口として普及し、発展してきた。
1964年(昭39)の東京五輪の成功を経て、その実態は確立された。世界的に見ても、誰もが参加を求められる「部活動」というシステムは日本独特のもの。海外では校外の地域クラブが主流で、各々の判断で好きなスポーツを楽しんでいる。
「スポーツ」の語源は、ラテン語の「deportare(デポルターレ)」で日常生活から「離れる」こと。つまり「気晴らし」「遊び」の意味合いが強い。楽しいから夢中になる。スポーツの根幹は遊びなのである。
対する日本での学生のスポーツと言えば、「教育」にほかならない。楽しさを排除し、険しい顔をして練習を積む。よく大会の現場で「苦しみなくして勝利なし」というような文言を目にする。それは教育的な考え方が基盤にあるからにほかならない。
それゆえ部活動を地域移行するということは、ハード面の移行はもちろんだが、むしろスポーツへの捉え方、意識の改革が先にくるだろう。
■「簡単に解決するものでない」
部活動の地域移行には、教員の負担を減らすという大事な名目はある。ただ佐々木さんのように、学校教育の現場から部活動が削られていく現状を危惧し、モヤモヤ感を持っている教員もいる。
「部活動を切り離せば、中学教員のブラックだと言われているものが解決するという(簡単な)ものではないと思います。負担が減るのか、と言われたら、そんなに減らないよ、と。単純に部活動をなくせばクリアできるものではない。僕らみたいな人間にしたら、部活動がなくなったらモチベーション低下という逆効果にもなります」
依然として長時間勤務への解決策は見当たらない。先進的な私立学校には民間企業の知恵やテクノロジーが導入されている。事情が違えども公立中学の現場にも、もっと民間や地域が介入し、サポートしていく必要はあるだろう。
「超過した労働時間は、個人の裁量で解決するしかないというのが現状です。先日も管理職から、もっと事務処理能力があると思ったよ、なんてことも言われ、本当に悔しい思いをしました。これが中学教員のリアルな姿です」
そう話すと口を真一文字に結んだ。
取材中、何度も口にした「子どもたちのために」という言葉。苦悩する思いは、こちらにも痛いほど伝わった。【佐藤隆志】









