希代のファンタジスタが、強い決意を持ってその番号を背負う。元日本代表MF中村俊輔(41)がJ1ジュビロ磐田からJ2横浜FCへ移籍した。背番号は「46」。23年目を向かえるプロ生活の中で、09-10シーズンに所属したエスパニョール(スペイン)時代の7番を除くと、中村が背負ってきたのは10番と25番のみ。すでに横浜FCではその3つの番号全てが埋まっていたこともあるが、46番という選択には少し驚きを感じた。

「この番号を自分色に染められれば」。横浜FCへの合流初日の練習を終えた7月15日、中村本人がその“46番”への思いを語った。振り返ったのは97年に横浜マリノス(現横浜F・マリノス)でプロデビューし、25番を初めて背負った時のこと。「和司さんに言われて」。横浜の前身である日産自動車や横浜で活躍し「ミスターマリノス」の異名も持つ元日本代表MF木村和司にその番号をすすめられた。木村も同じく日産加入1年目に25番を背負っていた。その才能を見抜き、後輩へと思いを託した大先輩の言葉に「やばい、やんなきゃっていうの(思い)があった」。その後、長く日産で10番を背負った木村のあとを追うように、中村も99年シーズンから10番をつけて司令塔として活躍し、初の海外移籍となったレッジーナ(イタリア)でも10番。今でもレジェンドとしてリスペクトされるセルティック(スコットランド)では新人時代以来となる25番を背負い、その左足から数々の名場面を生み出した。

10年の日本復帰後も背負ってきたのは、25番と10番のみ。今では中村の番号といえば、誰でもこの2つがすぐに思い浮かぶ。中村は「25の時もそうだったけど、出世する番号だとか、46もそういう番号にしたい。『あの人が46番つけて横浜FCはJ1上がったよね』とかってなったらいいじゃないですか。そういうひとつの目標がある。やりがいというか、そういうことです」。

では、なぜ46番なのか。横浜FCでの初練習を終えたこの日も「10番は好き」と語っていた中村は報道陣から「4+6で10番だから?」と問われた。すると「そこはイジらないでください(笑い)」と苦笑い。「それしかないって周りの人に。よくわからなくなってきて(笑い)。1番は選べなくて、50ってやると、『あいつ、50(歳)までやろうとしてんのか』ってなるし。そこ(46)しか逆にね。何でもいいってわけじゃないけど。じゃあ、そういうことに。頑張ります」と意気込んだ。

横浜FCではプレーはもちろん、かつて日本代表でも共に戦ったFWカズ(三浦知良、52)やMF松井大輔(38)らとの共演にも注目が集まる。そして「このチームをJ1に上げたい」。新たな挑戦と共に、キャリア4つ目の背番号を自分色に染めていく。

◆松尾幸之介(まつお・こうのすけ) 1992年(平4)5月14日、大分県大分市生まれ。中学、高校はサッカー部。中学時は陸上部の活動も行い、中学3年時に全国都道府県対抗男子駅伝競走大会やジュニアオリンピック男子800メートルなどに出場。趣味は温泉めぐり。04年アジア杯オマーン戦で中村選手が左足アウトサイドで決めた決勝点に度肝を抜かれ、しばらく練習したが全くうまくできずに断念。