今回は、記者が理屈抜きで応援する“父子鷹(だか)”のことを書かせてください。

“父”とは、J2大宮監督の高木琢也(52)のこと。12月1日のJ1参入プレーオフ1回戦で大宮は敗退した。J2のリーグ戦ではトーナメントに進む4チームの中で最上位の3位だったが、土壇場の一発勝負に泣いた。この結果で監督に批判が出たのも承知している。一方で就任わずか1年。過去に横浜FC、長崎をJ1に昇格させるなど、長いリーグ戦でチームを根気よく戦わせる手腕は発揮していたと思う。

記者は彼の広島での現役時代、2年間ほど密着させてもらった。同学年にはDF森山佳郎(現U-17日本代表監督)、MF横内昭展(現U-22日本代表ヘッドコーチ)、1学年下にはMF森保一(現日本代表監督)、4学年下にはDF片野坂知宏(現大分監督)、さらに先輩にはMF風間八宏(元川崎F、名古屋監督)ら、将来のそうそうたる指導者候補がいた。

中でも決して口数は多くはないが、高木のサッカーに対する情熱には感服するものがあった。

Jリーグ元年の93年だった。ある遠征先で広島がナイトゲームを終えた後、偶然同じ宿舎だった記者は、高木と朝まで語り合ったことがあった。どんなオフレコが飛び出すのかと思っていたが、韓国代表MF盧廷潤(ノ・ジョンユン)ら数選手も集まり、朝まで6時間以上、その夜の試合のことを振り返り続けた。「試合後は体が興奮して眠れないんだよ」。とにかくサッカーが好き。サッカーのことなら雄弁にもなった。

高木の父親から、かつてこんな話を聞いた。長崎の名門国見時代、父親が偶然、高校の近所を車で通りがかり、柱の陰から練習中の息子を見つけた。一切手抜きせず、仲間の先頭を走っている姿があったという。

広島時代は188センチの長身と決定力から「アジアの大砲」と呼ばれ、92年アジア杯など日本代表で活躍した。いわゆる「ターゲットマン」「ポストプレー」の言葉がオフト・ジャパンで使われ始め、その由来となった選手だ。93年ドーハの悲劇のメンバーでもあり、晩年は膝の故障やアキレス腱(けん)痛に悩まされながら現役を走り抜けた。

そして“子”。高木が広島在籍時の94年、記者は広島市内の高木家に遊びに行ったことがあった。そこで抱っこさせてもらったのが、1歳の長男利弥だった。

その長男がJリーガーとなって5年目という。今季途中から在籍する松本が11月30日、G大阪戦で大阪遠征にやってきた際、25年ぶりに再会できた。その試合で松本のJ2降格が決まってしまい「今は何を言っていいか分かりませんが…」と戸惑いながらも、記者のあいさつに笑顔で応じてくれた。顔のパーツは父そっくり。体格は父親に似ず、177センチの比較的細い線だった。

「体格は父ちゃんには似ていないですね。母ちゃんからは最近、言われるんです。利弥は年を重ねるたびにどんどん、父ちゃんに似てきているって」

父は名監督になるための試練を今季、味わったと思えばいい。かつての同僚森保は日本代表を強くし、それに負けじと高木はJリーグ屈指の監督になればと願う。子はまだ27歳、得意の左足で未来を切り開く時間は十分ある。サッカーに取り組む真摯(しんし)な姿を、また取材させてください。(敬称略)【横田和幸】

◆横田和幸(よこた・かずゆき)1968年(昭43)2月24日、大阪生まれ。91年日刊スポーツ入社。96年アトランタ五輪、98年サッカーW杯フランス大会など取材。広島、G大阪などJリーグを中心にスポーツ全般を担当。

(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)