4位だった東京オリンピック(五輪)のサッカー男子日本にオーバーエージ(OA)枠で出場したDF吉田麻也主将(32=サンプドリア)が大会を終え、14日までに日刊スポーツの取材に応じた。日本男子、史上初の決勝進出をかけた準決勝、スペインとの120分間の激闘、メダル獲得の最後のチャンス、メキシコとの3位決定戦に敗れた。失意の連敗をどう捉えているのか-。ピッチ内外でチームをけん引した主将が紡いだ言葉から、日本サッカーの未来といえる、東京五輪世代が残した可能性と課題に追った。

   ◇   ◇   ◇

勢いを持って、ボールを保持するという、森保監督が目指すスタイルについては吉田は完全に同意する。その上で、「もっとできたと思う」と反省とともに伸びしろを語った。守備に追われる時間が長くなればなるほど、消耗も激しくなる。強豪相手に、まだ思うようにその狙いは実現できなかった。ただ、進んでいる方向は間違っていないという感触はある。

吉田はA代表でも、18年ワールドカップ(W杯)ロシア大会でのベルギー戦、19年アジア杯決勝と、大一番での敗戦を経験している。

吉田 “ここぞ”の試合で結果を出せないのは、なぜなのか。協会と選手、スタッフみんなが真剣に突き詰めないといけない。そうでないと、いつまでたっても、いいとこ止まりで終わってしまう。ベルギー戦も今回も、美化されて終わったら意味がない。根本が成長しないと。「よく頑張った」と、いい話で終わらず、なぜ結果が出なかったのかを突き詰めないと。

今大会で出た課題について吉田は「本人たちが一番、分かっていると思う」とした。高い能力を持ちながら、試合を任されるには至らなかった町田や瀬古。準々決勝以降の3試合で1得点に終わった、久保や堂安といった攻撃陣。試合後の言葉や態度から分かるように、ベスト4に満足はしていない。東京五輪世代は今後、A代表を目指す。大会を通して何を感じ、糧とすべきなのか-。答えはこの先の舞台で、価値ある勝利とともに見せてほしい。【岡崎悠利】

◆吉田麻也(よしだ・まや)1988年(昭63)8月24日、長崎県生まれ。名古屋の下部組織から07年にトップ昇格。J1通算71試合5得点。10年1月にオランダ1部VVVフェンロに移籍。12年8月からは英プレミアリーグのサウサンプトンでプレー。20年1月末にセリエAのサンプドリアに移籍した。五輪は08年北京、12年ロンドン、21年東京の3大会に出場。10年1月に日本代表に初招集。国際Aマッチ通算107試合11得点。W杯は14年ブラジルと18年ロシアの両大会を経験し、現在は主将を務める。189センチ、87キロ。

「1歩の差がもろに出たスペイン戦」/吉田麻也が語る日本サッカー(1)>>

「裏の裏準備できなかったメキシコ戦」/吉田麻也が語る日本サッカー(2)>>