アウエーの洗礼に最後まで負けなかった。日本代表は後半20分MF中田浩二(25=鹿島)の決勝弾などで中国を3―1と破り、2大会連続3度目のアジア杯優勝を果たした。苦難の道を乗り越えたジーコ監督(51)は涙を浮かべた。これで来年6月のコンフェデレーションズ杯(ドイツ)出場権を獲得。日本代表は9連勝、12戦連続不敗(3分けを含む)と歴代最多タイ、今季13勝目は年間記録と記録ずくめ。通算19勝9分け7敗。MVPはMF中村俊輔(26=レジーナ)が獲得した。

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神様の目が潤む。たくましく成長した選手と抱き合い、6万観衆のブーイングも耳に入らない。「さあ、行くぞ!」。甲高い声を張り上げ、厳戒態勢の中で応援し続けた日本サポーター席へ選手とともに走った。逆境をはね返した分だけ涙があふれてきた。

ジーコ監督 「大変な戦いになるのは最初から分かっていた。困難を乗り越えて上り詰め、自分たちの力で克服した。優勝はその集大成。感動的だった」

中国入りしてから24日目。最後まで「敵地の重圧と洗礼」に負けなかった。

真っ赤に染まるスタンドからは拡声器や笛の派手な応援が途切れない。前半途中で追いつかれ中国優勢にムードは一変。だが「絶対焦るな。2点目をどん欲に狙え」とハーフタイムで指示。後半20分。中田浩が腰で押し込み勝ち越し。流れをつかみ玉田のダメ押しで勝利を確信した。

重慶から始まったアジア杯の長い旅。宿舎で自室にこもり続けたジーコ監督は対戦国の研究、分析に余念がなかった。和田テクニカルスタッフから届く資料と映像を丹念にチェック。ミーティングでは選手に細かく指示を重ねた。

ホスト国との頂上決戦。中国政府の発令で公安、北京警察など1万2000人の厳戒警備態勢が敷かれた。午後6時30分に選手を乗せたバスが到着した際は銃を構えた警察官に囲まれながらの入場と異様なムードに包まれた。

日中の歴史的、政治的問題を背負っての大会でもあった。加えて圧倒的な不利な状況もあった。酷暑の重慶で4試合を戦い、済南―北京と1620キロの移動を強いられた。北京にいた中国と大きな格差。さすがにジーコ監督も厳しい環境に「つらいな」とスタッフに漏らした。中国報道陣からも「第2の日本代表」と皮肉られる。それでも中田英ら主力を欠くチームは結束を固めて頂点へ駆け上がった。

鈴木国弘通訳によれば、これこそジーコ監督が求めていたチームだと言う。「鹿島時代のこと。仮に日本代表の監督を引き受けたらチームの雰囲気づくりをしたいとね。ああいうこと(反日問題)もあったがチームは逆風の中で結束を固めていった」。出番のない控え組にも「つらいだろうがモチベーションを保ってがんばってくれ」とジーコ監督は声をかけ続けた。9月のインド戦、10月のオマーン戦と今後のW杯予選でアウエー戦が続く。ジーコ監督は「敵地での自信」という大きな土産を持って今日、帰国する。【田 誠】