幼稚園児が、たくさん泣いていた。お母さんに抱きつく子がいれば、ある子はお父さんの元へ。小学校入学前の3月。神奈川・宮前区の小学校で、さぎぬまサッカークラブ(SC)の体験会は行われていた。25人ほどの年長が、思い思いに駄々をこねていた。1人は、校庭の隅で泣いていた。先ほどまで、楽しそうにボールを蹴っていたのに。さぎぬまSCの代表を務める沢田秀治さん(64)は、膝をついた。泣きじゃくる子を膝の上であやし、優しく言葉を掛けた。

「どうしたの? 出来なかったかな?」

子供は、首を縦に振った。

「僕、こんな練習つまらない」

沢田さんは、面を食らった。

「え? 何でつまらないの?」

子供は、顔を真っ赤にして言った。

「僕、もっと難しい練習をしたい」

ワールドカップ・カタール大会の日本代表に選出されたMF田中碧(24=デュッセルドルフ)だった。沢田さんは、懐かしそうに当時のことを振り返った。「悔しくて、泣く子もいました。もちろん、お母さんから離れて泣いてしまう子も…。ただ、碧は違いましたね。こんな年齢で、もうそんなことを言うのかって、びっくりしました」。約18年前のことでも、鮮明に覚えている。

無事? に入団しても、その向上心は誰よりも意識が高かった。練習で分からないことがあると、監督やコーチに貪欲に質問する姿がそこにあった。多くの子供は遊んでいるか、しゃべっている年頃。小学校低学年の田中は、1人黙々と、課題に向き合い、反復練習に明け暮れていた。沢田さんは「本当に熱心だった」と言う。東京ヴェルディの練習にも週2回ほど参加するなど、サッカーに明け暮れていた。

意識の高さに加えて、当時から試合を見る目にたけていた。小学校2年時。リーグ戦で、1試合目に圧勝した。続く2試合目。試合開始直前に、田中はベンチに向かって言った。「監督、このチーム強いよ」。大人たちは、目を丸くしたという。

沢田さんは言う。「確かに強い相手だったんですよ。でもそんな情報は子どもたちは知らない。でも、碧には分かったみたいで」。田中は試合が始まると、即座に「~番マーク」と声を出し、味方に指示を送っていた。監督が言うよりも前に。今や日本代表でインサイドハーフなど中盤をこなす田中だが、当時のポジションはFW。生粋の点取り屋だったが、戦況を分析する能力はピカイチだったという。沢田さんは「1年生の時から、試合の流れを読むことがうまかった」とうなずいた。

さぎぬまSCの27期だった。26期にはMF三笘薫(25=ブライトン)、25期にはDF板倉滉(25=ボルシアMG)、17期にはGK権田修一(33=清水)ら日本代表の面々が所属していた。セレクションはない。沢田さんは「本当にたまたま、集まりました」と笑う。田中は小学校2年まで在籍。3年に上がると、川崎フロンターレのU-10に入った。沢田さんは「ああいう子が、上に行くんでしょうね」。田中は、大人顔負けの子供、子供とは思えない幼稚園児だった。【栗田尚樹】

◆田中碧(たなか・あお)1998年(平10)9月10日、川崎市生まれ。さぎぬまSCから川崎F・U-10に入り、下部組織を経てトップ昇格2年目の18年にプロデビュー。19年ベストヤングプレーヤー賞、20年はベストイレブンに選出。21年6月にドイツ2部デュッセルドルフに期限付き移籍し、22年4月に完全移籍。東京オリンピック代表。A代表は19年に初選出。国際Aマッチ14試合2得点。180センチ、75キロ。血液型B。