世代別日本代表の10番を背負い若くしてイタリアへ。最後はタイリーグでキャリアを終えた。

 財前 とりあえずテストマッチが1試合あるから、行くだけ行ってみてくれって頼まれて。軽い感じで行ったんだけど、サポーターが山形時代の俺の応援歌で迎えてくれてね。鳥肌が立ったよ。ヒールパスとかしたら大歓声になって気持ちよかった。試合が終わって帰ろうとしたらクラブのオーナーがベンチ脇に来て『お前がほしい。いくら欲しい』って直談判されて。そういう情熱ってうれしいじゃない。タイリーグっていろいろな国の選手が飛び込みで練習場にやってきて『ワンデイ、テスト』って監督にアピールしてくる。みんな飯食っていくために必死。月収2万円でサッカーしてる選手が多くいたよ。そういう環境も見てきたし、イタリアの優等生たちも見てきた。プロ17年間で経験したことを踏まえ、子供たちに落とし込んでいきたい。

 ◆財前宣之(ざいぜん・のぶゆき)1976年(昭51)10月19日、北海道室蘭市生まれ。89年、読売ジュニアユース時代に全日本ジュニアユース選手権優勝など6冠に貢献。93年、U-17世界選手権では主将を務めベスト8入り。カズ、ラモス瑠偉とプレーした後、セリエAラツィオの練習生としてイタリアへ。スペインリーグのDCグロニエス、HNKリエカ(クロアチア)を経て、99年にJ2仙台に移籍し、11年にJ1昇格がかかった京都戦で奇跡のロスタイム弾を決めた。05年末に戦力外通告を受け山形へ。08年に山形のJ1昇格に貢献した。10年にタイ・プレミアリーグのムアントン・ユナイテッド、BECテロ・サーサナFCでプレーし、12年に17年間のプロ生活に別れ、35歳のときブログで引退を表明した。仙台アカデミーコーチを経て、16年に財前フットボールスクールを開校。独身。血液型O。