スカウトの努力が実を結んだ川崎フロンターレの連覇でもあった。主将のFW小林、副主将のMF大島と谷口、選手会長のDF登里…。彼らを見いだしたのは、05年からスカウト担当を務める向島建氏(52)だ。地元と人を大切にする「フロンターレのDNA」を熟知するOBが「原石」たちを発掘してきた。

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優勝セレモニーで、向島氏がスカウトした選手が8人、喜びの輪にいた。自身の目で獲得した選手が、クラブ愛を持ちながら、日々の練習で技術を磨き、主力として活躍した証だった。「やりがいはありますよね。ぶれないで、しっかりと自分のルールを決めてスカウト活動をしてきたことがよかった」と感慨深げに振り返った。

向島氏は選手として、97年に清水から川崎Fに加入し、5年間プレーした。01年の引退後、川崎Fのフロント業を経て05年から「初代スカウト」に。右も左も分からない状態でスタートする中、重視したのは技術だけでなく人間性だった。「サッカーだけがうまくても一流にはならない。人として成長しないとサッカーも成長しない」という持論と、地元を大切にするクラブ色を考えての「最重要項目」だった。

向島氏 僕がプレーしていたころは観客が3000人程度。その時代から、クラブのみんなが川崎という地元と人をとても大事にして、観客動員数も増えていった。僕は、新卒で入った選手が生え抜きとして、しっかりと土台になっていくチームをつくっていかなくてはと思ったんです。あとは、自分も現役をやっていたので、我慢できない、いいかげんな選手をチームの中に入れられないというのは大前提にありました。

選手発掘のため全国を飛び回り、見た試合を記すノートは今や17冊目に突入した。見るポイントは「言葉では説明できない感覚」とした上で「第一印象でおもしろい、と、自分を驚かせてくれる選手」と言う。予備知識はいらない。見て驚きがあれば追い続ける。DF登里は、香川西高2年時の全国高校選手権でそのスピードに目を付けた。DF谷口は大津高2年時に1度オファーし、筑波大を経て加入が決まった。静岡学園高のMF大島は、向島氏が母校である同校の応援で出向いた現場で偶然に発掘した。

人間性はプレーからにじみ出るという。「我慢の時間帯もイライラせず、チームプレーができているかどうか。そこです」。大島はプレー中の気配りにたけ、上がりたい場面も状況を考えて後ろに残るなど献身性が抜群だった。小林は負けず嫌いなFW気質と、キャプテンシーがあり、周囲からの情報で「うまくなりたい」と貪欲に練習していると知った。登里は試合会場で会うと必ず「今日のプレーはどうでしたか」と積極的に聞きに来るなど向上心が高かった。試合後に見せる“素顔”も重要なポイント。仲間との会話、服装、あいさつのほか、負けた後の立ち居振る舞いも人間性が出るからだ。ピッチ外のチェックも怠らない。

向島氏 今、活躍している選手は長くチームに残ってくれて。自分もそのつもりで取っているし、彼らもチーム愛をしっかり持ち、自分の得意、課題、チームの状況をしっかりと分かっている。大卒の選手が多いですが、大学の4年間は、寮生活など集団生活を通して人として成長しているんですよね。

現在の川崎Fは、技術の高い選手が集い、ベンチ入りするのも激しい競争がある。出場機会を求めて他クラブへ移籍する選手もいる一方、守田や今季ブレークしたFW知念のように、試合に出られないことを覚悟の上で「うまくなりたい」と加入してきた選手も多い。昨季の初優勝までの道のりは長かったが、小林、車屋、大島、谷口、守田は日本代表のユニホームを着た。生え抜きの中堅選手は、ピッチ外でもチームの先頭に立ち、商店街巡りや清掃活動などの地域貢献やファンサービスに積極的で、若手の手本になっている。

向島氏は言う。「獲得した選手がMVP、代表にもなりここまでチームに残ってくれて…。クラブが地元と人を大事にする根本は、スカウトも変わらないですよ」。再来年には東京五輪世代のMF三笘薫(筑波大3年)、FW旗手怜央(順大3年)の加入が内定している。ぶれない「眼力」でスカウトした逸材が、黄金期を築いていくはずだ。【岩田千代巳】