J1昇格を決めた横浜FCの元日本代表MF中村俊輔(44)が、今季限りで現役引退することが17日までに、分かった。前日16日のホーム最終戦・ツエーゲン金沢戦では、後半28分から途中出場。約5カ月ぶりのピッチに立ち、FKのキッカーを務めていた。横浜マリノス(現横浜F・マリノス)、レッジーナ(イタリア)、セルティック(スコットランド)、エスパニョール(スペイン)などで、一時代を築いた希代のレフティー。歴代担当記者が、その人柄や思い出を振り返る。

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中村俊輔のことを名字で呼ぶ人はほとんどいない。後輩は「俊輔さん」や「俊(シュン)さん」と呼ぶし、親友の遠藤保仁は「俊(シュン)ちゃん」と呼ぶ。私は「俊(シュン)」と呼んでいる。俊輔も名字ではなく名前で呼ばれることを好んだ。

02年7月、W杯日韓大会出場の道をたたれた俊輔は、イタリア・セリエAのレッジーナに移籍した。私も取材でレッジーナの街・レッジョカラブリアに1カ月滞在した。当時、クラブが用意したホテルは、塩水が出ていた。同街で唯一真水が出た私の部屋に彼は何度かシャワーを浴びにきた。「帰るのが面倒くさい」とそのまま泊まることもある。初日に私のいびきを目の当たりにし、2日目からは「ノゼジン(俊輔は私をノゼジンと呼ぶ)は絶対、オレより先に寝るな」と、先に寝てしまう日が続いた。

ある日、俊輔がうれしそうに話した。「ノゼジン知ってた?」。「なに?」。「子供に名前をつける本あるじゃん。それに“俊輔”が入ったんだよ」。「へ~、なんで?」。「逆境をはねのけて成功への道を進むって意味があるって。責任重大だね」。

詳しく聞くと、横浜ジュニアユースからユースに上がれず、桐光学園に進学して高校選手権などで結果を残し、横浜から獲得オファーを受けて加入したことから名付け辞典に載ったようだ。その時はレッジーナでデビューする直前。「よし、オレはここでも頑張るぞ。ノゼジンはあと30分後に寝てね」とベッドに入った。

俊輔は、W杯落選ショックからレッジーナで活躍し、その後セルティックでリーグMVPになった。日本サッカーの一時代を築く選手に成長していった。まさに逆境をはねのけて成功への道を進んだ。

W杯とは縁がなく、日韓大会落選後、2大会連続出場したが、期待通りの活躍はできなかった。W杯への思いを残すまま引退。「引退後は子供を教えたい」と言っていたが、個人的にはトップチーム指導者としてもう一花咲かせてほしい。おそらく失敗もするだろう。当然、逆境はあるはず。でも俊輔は、自分の名前にふさわしい名将となり、いつかは日本代表を率いてW杯でリベンジしてほしい。

【盧載鎭】