元日本代表監督で日本協会副会長の岡田武史氏(67=J3今治会長)が27日、日刊スポーツを通じ、引退を決めた小野伸二へねぎらいのメッセージを送った。
「天才タイプの伸二が、ここまで長く現役を続けるイメージはありませんでした。本当に、ご苦労さまでした。ここからの新たなステップに期待しています」
指揮した98年W杯フランス大会の開幕まで3カ月を切った4月1日、伝統の日韓戦でA代表デビューさせた。「完璧ではないけれど飛躍的に伸びる可能性、才能がある」。当時は31歳カズを初めて招集せず18歳小野、17歳市川をテスト。小野だけ本大会まで残した。
1次リーグ最終ジャマイカ戦の後半34分から起用。出場直後、股抜きで1人かわし、さらに1人を外したシュートを記憶している。18歳272日。いまだ破られていないW杯の日本代表史上最年少の出場記録だ。
「若い伸二を入れたのは『将来のため』とか言われたけど、全く違う。先なんて考えていない。全ては勝つため。当時、日本は世界相手にゲームをつくれなかった。ヒデ(中田英寿)に頼るしか攻め手がなかった状況では、伸二の天才に懸けるしかなかったんだよ」
旧来の代表は名のある選手が重宝されたが「実績は判断材料の一部に過ぎない」と覆した。象徴が小野だった。負傷が続き、天才に「ガラスの」と付いても頼った。第2次政権の08年も招集した。オシム前監督から「古い井戸」と評されたが「可能性」(選出理由)しか感じない存在だった。
FC今治の経営を始めた翌15年には、オフを利用して愛媛まで来てくれた。「伸二から急に電話がかかってきて」。対する小野は「今後(指導者)のために、お近づきになりたく」と笑いつつ「岡田さんの挑戦を見て刺激を受けに来たんです」。可能性を高め合う関係でもあった。【木下淳】