サッカー元日本代表でJ2町田ゼルビアに所属するDF太田宏介(36)が3日、東京都内で会見を開き、「だめだもう泣いちゃってる。こういうの弱いんだよな」と冒頭から目を潤ませながら「このたび、私、太田宏介は18年間の現役を引退することを決意しました」と現役引退を発表した。

以下、会見での一問一答。

-日本代表へまで登り詰めたサッカー人生をふりかえって

太田 僕のサッカー選手としての頑張るモチベーションだったりとか、上に上がりたいっていう気持ちは「とにかく家族を幸せにしたい」。そういう思いが強くて。こういう場所で話さなくてもいい内容だと思うんですけども、中学校のころに家庭環境がすごく変わって。そんな中で僕と兄と、それぞれが目指す、僕だったらプロサッカー選手、兄だったら大学を卒業して起業して、仕事を成功させて、親を楽にさせてあげようと、そういう思いで兄弟ともに頑張ってきました。いろいろ大変なこともありましたけども、とにかく家族みんなが幸せになれるように、兄弟で力を合わせてというのが僕にとっての最大のモチベーションで。それをずっとブレずに、忘れずに貫き通してきたことが、キャリアを伸ばせた一番の要因かなと思ってます。もちろん大満足のキャリアですけど、もっともっと母親だけじゃなく、僕も今、家庭を持ってますので、みんなが幸せになれるように、今後のキャリアも、まず一番意識するのは家族のためにというところですかね。

-思い出深い試合は

太田 もちろんデビュー戦もそうなんですけども、(東京時代の)2015年の味の素スタジアムでの多摩川クラシコ川崎フロンターレ戦ですかね。大久保嘉人選手に先制点を取られて、その後、自分のフリーキックで同点にし、後半に武藤嘉紀選手の自分のフリーキックからのアシストで逆転。会場の雰囲気も最高でしたし、なによりFC東京時代に、仲良くしてくれた武藤嘉紀選手が海外移籍の少し前だったかな、彼自身もプレッシャーが大きくかかる中で、直接そういうアシストをすることができた。それも本当にイメージ通りのゴールでしたので、あのアシストっていうのは、今までのたくさんのアシストの中でも一番うれしかったです。

-代名詞のクロスで大事にしてきたところは

太田 キックの種類だったりとか、弾道の違いとかたくさんあるんですけども、僕自身の中で一番強く意識していたのは、目の前に相手がいても、上げられるクロス。相手が寄せてきても、その相手の足に当たらないような弾道。ボールを置く位置によって、そういうクロスを上げられるように体の向きだったり、軸足の位置でしたり、ボールを当てる場所だったりを意識してやってきました。その土台となったのが2008年の横浜FC時代の都並監督。都並敏史さんに、本当に周りから見たら特別扱いしてるんじゃないかって思われるぐらい、全体練習が終わった後に、毎日クロスの上げ方、基礎の部分をたくさん教わって。それがやっと試合の中で結果に出るようになったのが清水エスパルスの後半と、FC東京に移籍してからでした。試合をやってると相手も警戒してくるし、(体を)ぶつけてくるし、自分の間合いで上げられないこともたくさんあるんですけど。そういった中でも上げられるようなちょっとした工夫っていうのは、都並さんから教わり、生かすことができたのかなと思ってます。