新ヒーローが誕生した。陸上男子200メートル決勝で、世界選手権にもオリンピック(五輪)にも出たことのない小池祐貴(23=ANA)がアジアの頂点に立った。日本歴代7位となる自己記録20秒23(追い風0・7メートル)で金メダル。楊俊瀚(台湾)と同タイムだった。両者、フィニッシュ後に転倒する激戦。約3分の写真判定の末、公式記録には載らない0秒002差で、日本勢では06年ドーハ大会の末続慎吾以来、12年ぶりの栄光をつかんだ。
3分間、気持ちを落ち着かせながら、小池は電光掲示板を見つめた。同タイム決着の写真判定。リプレーの後、スタンドから湧いた「小池」コールに勝利を信じ、涙目で両腕を上げた。アジア王者に輝くと「口に出していた目標だが、本当に実現すると現実かなと。実感が湧かない」。自分が信じられなかった。
序盤から飛ばした。最後の直線では限界に達した足を必死に回した。フィニッシュ時、楊が転倒。その後、小池も倒れた。左肩、左膝の傷にアイシングを施しテープを巻いていたのが激闘の証しだった。
昨年6月から走り幅跳びで84年ロス五輪7位の臼井淳一氏(60)の指導を受け、メニューを一任する。決められているルールは「全力疾走の禁止」。最大でも「マックスで95%」(臼井氏)。6割程度で走る練習を繰り返し、正しい接地、体の動き方を染み込ませた。「遅く、正確に走るのは難しい。スピードを出して練習すると、感覚的な細かい部分をごまかせると気が付いた」と小池。この1年で自己記録は0秒35伸びた。遅く走り、速くなった。
臼井氏に師事する前、1人でメニューを考えていた慶大4年春までは正反対の考えだった。「足が速くなるためには、試合に近いスピードで練習し、試合で再現すればいい」。その上で「オールアウト(限界まで走る)」の走り込みをよくやっていたから、けがも多かった。制御してくれる存在ができ、今季は自己記録を3度更新した。
高校時代は桐生のライバルとも称されたが、実績は大きく離れていった。慶大4年時は陸上選手として企業からなかなか声が掛からず、一般の学生と一緒に就職活動もした。結局、ANAに正式に決まったのは昨年10月。決まらなければ、引退するつもりだった男は言った。「自己ベストをふた伸びぐらいさせる。1年後の世界選手権の準決勝で自己記録を更新し、決勝に食い込みたい」。桐生も立っていないアジアの頂点に立ち、これからは伸び悩んだ時期の憂鬱(ゆううつ)など吹き飛ばしていく。【上田悠太】