顔をゆがめ、気温18度の暑さにもだえながら、瀬古利彦(31=エスビー食品)が走り抜き、マラソン10勝目を苦闘の末にもぎ取ってソウル五輪出場を当確とした。前半から積極的に飛ばし独走したが、暑さのため後半にペースが落ち、2時間12分41秒とタイムは平凡に終わった。日本陸連の小掛照二強化委員長は、個人的意見としながらも「瀬古の経験を生かすためにソウルへ連れて行きたい」と語った。16日の強化委員会で検討され、19日の理事会で最終決定する。

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瀬古の表情がゆがんだ。顔が引きつり、得意のラストスパートも出ない。ゴールを求めての一歩一歩が必死の形相に映り、執念で走り切ろうとする悲壮な決意が表れていた。歯を食いしばり、顔にはしわをつくった。ゴールインする瞬間も両手を中途半端にあげ、弱々しいガッツポーズとなった。テープを切ったあと右側のスタンドを見て、軽く右手をあげてチラリとほほ笑んだ時、走り終えた安ど感がわずかに瀬古によぎった。駆け寄ったエスビー食品の小林尚一スポーツ推進局長と握手した後、やっと白い歯がこぼれた。立て続けに大コップでミネラルウオーターを飲み干した。

「どうもありがとうございました」。お立ち台に上がった瀬古の第一声は、決して威勢のいいものではなかった。暑さで顔と、むき出しの両腕は日に焼けていた。2時間12分41秒のタイムは、瀬古にとっては満足のいくものではない。「ちょっと暑かったから、タイム的には満足できなかった。でも、前半飛ばした割にはまずまず満足できたと思います。きっと、中村先生や女房も内容についてはほめてくれるでしょう」。

「あんなに苦しそうな瀬古は初めて見ました。かわいそうなくらいでした。よっぽど暑かったんでしょう。あんなに水をとって……。ちょっと神様に見放されちゃったようですね」。中村監督夫人の道子さん(62)は言葉を詰まらせた。

暑さは瀬古の予想をはるかに上回っていた。瀬古は朝6時に起き、6時半から皇子山陸上競技場の野球場の周りを、気温を、天候を確かめるように5、6キロ走った。走り終えた後、村尾マネジャーに言ったという。「2時間8分台を目標に走ろうと思ったけど、2時間10分を切ることに目標を変更するよ」。

それでも、瀬古はチャレンジした。5キロから意欲的に飛ばした。15分7秒、15分11秒、14分57秒と瀬古のイメージ通りのラップタイムを刻んでいった。取材する報道陣のパスを見つけるとニッコリ笑う余裕もあった。だが、折り返しを過ぎると、向かい風と後方から照りつける太陽に前半の勢いが急激になくなってしまった。スペシャルドリンクはすべて取った。通常なら1、2口飲んではポイと捨てるのを大事そうに握りしめ、3、4口まで飲み干した。そして水分を含んだスポンジを口に運び補給、頭、顔をぬぐった。

暑さに苦しんだのは瀬古ばかりではなかった。瀬古はベストタイムから4分14秒悪かったが、上位6人のうち4人までが4分以上も自己記録より悪かった。暑さが、ランナーの走る意欲と体力を奪っていった。2位でゴールした西はゴール後、芝生にへたりこんで2度、3度、吐いた。「気分が悪くて、気分が悪くて……」。表彰台に上がるのもきつそうだった。その西はベストタイムより4分22秒遅く、瀬古がびわ湖歴代12位のタイム、西は32番目のタイムだった。

昨年12月の福岡は冷たい雨。小掛委員長は軒並み悪かったタイムに「2分割り引いて考えるべきだろう」と語っている。今回は上位4人が4分以上も悪いことから単純計算すると、工藤と瀬古の実質タイム比較は2時間9分台と8分台となり、瀬古が上回ることになる。

西の監督でもあり、瀬古と名勝負を何度も演じた宗茂(35)は「瀬古は調整法を若い時と同じようにやっているのではないか。代表に選ばれれば、年を考えて調整するべきだ。瀬古が選ばれてほしいし、ソウルでそれ相応(メダル獲得)できると思わなければ辞退するだろう」。

最後の5キロのラップが17分1秒と、トップクラスに躍り出てからは初めての遅いタイムも記録した。だが、瀬古にとってのマラソンは10月2日のソウル五輪が本番となる。村尾マネジャーは「今回はいい練習過程ができたと思っていたんですけど……。でも、もし代表に選ばれれば、もう一度見直して、10月に再び強い瀬古君になってもらいたい」。瀬古も「もし選ばれたら、スケートの黒岩(彰)君のように4年間の経験を無駄にしないでメダルを取りたい」。瀬古はすでにソウルを見ている。【黒木】

 

◆びわ湖毎日マラソン成績上位

 (1)瀬古利彦(エスビー食品)2時間12分41秒 (2)西政幸(旭化成)2時間15分32秒 (3)近藤竜二(旭化成)2時間16分15秒

 

◆陸連が緊急強化委「メダルなら瀬古」

日本陸連は13日のびわ湖毎日マラソン終了後、皇子山陸上競技場内で緊急強化委員会を開き、男子マラソン3番目の代表について検討したが結論が出ず、16日の企画室会議で強化委員会案を作成し、19日の理事会で正式決定することになった。候補対象は、瀬古のほか福岡4位の工藤一良(27=日産)と東京6位の仙内勇(27=ダイエー)の3人。小掛照二強化委員長は「私としてはロスの経験を生かす意味で瀬古を連れて行きたい」。関岡康雄副委員長も「メダルを取るということを考えれば、瀬古という名前は外国勢にとっては脅威と映るはずだ。メダルを取るために瀬古は必要だと思う」と語ったが、沢木啓祐マラソン部長は「瀬古らしさが全く感じられなかった。瀬古の全盛時は1、2年前」と否定的だった。協会員ではないが高橋進終身コーチは「全盛時のランナーが頂上から降りてくるのと、7合目から頂上を狙うランナーとどっちを取るかですよ」と意見を述べているが、この日の積極的なレース内容を評価して有力視する声は多く、16日の企画室会議を経て19日の理事会で「瀬古代表」が決まるはずだ。ソウル五輪の個人エントリー締め切りは9月8日、マラソンは10月2日午後2時35分スタートする。

 

◆瀬古夫人感激感涙

美恵夫人(29)は長男・昴君(すばる=1)と、正面スタンドで瀬古のゴールを見守った。「もう涙があふれて。タイムは私には分かりません。今はただ、お疲れさまと言ってあげたい」。涙ぐむ美恵さんの横で、昴君が「おとうが走ってるよ」と両手をいっぱいに伸ばして、無邪気に拍手を繰り返した。美恵さんにとっては、瀬古が骨折してからの4カ月間が走馬灯のように頭を駆けめぐった。「あっという間の4カ月でした。最初の2カ月は主人のケガが回復せずイヤガラセも続いて、本当につらかった」と振り返る。救いは2人の明るさだった。「どんな小さな悩みでも互いに話し合うと不思議に落ち着くんです。イヤガラセの電話にも“ありがとう”と言えるようになったねと話しました」。

体調を考え、タンパク質を中心に毎日30品以上のメニューを作り、また昴君にカゼを引かせ、瀬古にうつさないように絶対に人込みに連れていかなかった。美恵さんの小さな努力が見事に実を結んだ。レース後のホテルで美恵さんが「お疲れさま」と声をかけると、瀬古は「ねぎらいの言葉を言うのはこっちだよ」と美恵さんの肩にそっと手を回した。【田口辰男】

 

◆工藤「納得できる走り」瀬古発言に怒り爆発!

第3の男・工藤一良(27=日産自動車)が不満をぶちまけた。「びわ湖毎日マラソン」を日産自動車陸上部合宿所(横浜市)でテレビ観戦、2時間12分41秒という瀬古の記録を見届けた。周囲の瀬古代表決定ムードに反発し、「過去の実績ではなく、現在の力で判断してほしい」と、無名から一躍ソウル行きの夢をつないでいた工藤は、時折怒りの表情をみせながら訴えた。

「以前のように力のみなぎる瀬古さんではなかった。最後の方は見るのがつらいぐらい疲れ切っていましたね」。工藤は、そう口火を切った。NHKテレビでレースを最後まで見つめ、瀬古のインタビューを聞き終わった直後のことだ。「自分では、あくまでも福岡が最終選考会と考えているし、(日本人で)3位に入れてうれしいと思った」と、まず自分の立場を強調する。工藤の「あきらめよう」と思っていた気持ちを逆なでしたのは、瀬古のレース後のインタビューだった。瀬古の華々しい実績を知る者にとって、この日のタイムは不本意と映った。レース内容も後半メロメロで、2時間12分41秒でゴールしたが、瀬古は「まずまず納得のできる走り。ソウルに行けたら経験を生かしたい」とコメントした。

工藤にしてみれば、代表はすでに決まっているとも受け取れた。それをきっかけに、福岡以後の3カ月、沈黙を続けていた工藤の口から不満がついて出た。「過去の実績ではなく、現在の力で判断してほしい」「陸連も瀬古さんも、レース前に代表決定の条件をタイムで設定していないのは納得できない」「だれもがオリンピックに出たい気持ちは同じ。福岡だって全員がよいコンディションだったわけではない。チャンスは公平に与えてほしい」と、同席した白水昭興陸上部監督(45)が工藤の気持ちを察して口を挟む間もないほど、次から次へと不満を吐き出した。

工藤が「オレにもソウル行きのチャンスが出てきた」と確信したのは35キロ地点だった。前半とは別人のようにピッチが落ち、ストライドが伸びない。瀬古の5キロごとのスプリットタイムが、ついに16分台に落ちたのだ。それまで合宿所のロビーのソファでほおづえをついていた工藤の座り方が浅くなり、腕を組んで身を乗り出した。2時間7分を過ぎ、工藤の記録を下回ることが決定的になった時には、白水監督が「興奮して余計なことを言うなよ」と耳打ちして注意まで与えている。だがその白水監督でさえ、興奮が静まったあとは「工藤も行きたいだろうし、私も行かせたい。しかし、陸連が(われわれの前に)立ちふさがっている」と瀬古に対する優遇措置に、やり切れない表情を見せた。

工藤は、最初に入社したリッカーが業績不振のため陸上部が廃部になり、84年7月に白水監督らとともに日産に移籍した。高校時代は力こそ認められていたが、これまで脚光を浴びることがなかった工藤にとって、今回は初めて巡って来た大きなチャンスといえる。自分の記録の方が1分5秒も上回っていただけに、ますますソウルへの思いは募る。工藤は「せめて9分台の前半で走ってくれたら、あきらめもついたのに」と言い残し、グラウンドへと飛び出していった。工藤は高ぶった気持ちを静めるように、日が沈むまでジョギングを続けた。【桐生】

 

◆中山陣営「このタイムを世論がそう評価するか」

中山竹通(28=ダイエー)は神戸・名谷の寮でテレビ観戦した。ダイエー広報を通じて出されたコメントは「琵琶湖特有の風、18度という温度の中、また10キロ過ぎからの独走という中でのペース配分が難しかったのではないかと思います」。中山は2月22日から初めての沖縄・宮古島合宿を行い、5日に名谷に戻った。昨年12月6日の福岡国際マラソンで2時間8分18秒の87年世界最高タイムで優勝。ソウル五輪代表に内定したあと「35キロ過ぎてのスピード維持のための練習に重点を置く」と言ってきたとおり、宮古島では一日30キロの走り込みを行った。13日はチーム練習が休みだったが、名谷のロードで朝10キロ、夕方10キロの自主練習をこなした。今年は1月11日から10日間の延岡合宿を含め順調に来ている。7月からの本格的マラソン練習突入までに、国内(日本選手権、6月)とヨーロッパ(DNガラン、7月)で1万メートル出場を予定しているが、場合によっては5月初旬の兵庫リレーカーニバル1万メートルで今季初レースとなる可能性もある。「オリンピックでは悔いのないレースをしたい」と言う中山はマイペース。ダイエー・佐藤進監督は皇子山陸上競技場で瀬古のレースを目の当たりにして「心情的には瀬古君にロス五輪の失敗を今度のソウルで取り返させたいと思うが、このタイムを世論がそう評価するかですね」と話した。