01年世界選手権(エドモントン)銀メダリスト土佐礼子(27=三井住友海上)が、2時間23分57秒で最終選考会を制した。足のケガなどで2年ぶりのレースとなったが、執念の粘りで逆転優勝。アテネ五輪女子マラソン代表の有力候補に浮上し、有力とみられた高橋尚子(31)に待ったをかけた。すでに代表には野口みずき(25)が内定、残り2枠を1月の大阪優勝の坂本直子(23)、昨年11月東京国際2位の高橋と争う。男女マラソンの五輪代表は今日15日、選手選考委員会の後に日本陸連の理事会などを経て決定される。

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泣きながら走った。土佐は口を開け、サングラスの下の目をぬらしながらゴールに飛び込んだ。三井住友海上の鈴木監督に抱きつくと「よくやった」という声が耳に届いた。けがに泣いた2年間、支えてくれた恩師の言葉を聞いて、顔をゆがめて号泣した。

恐るべき執念だった。上り坂の32キロ地点でいったんは遅れた。マッチレースとなった田中との差は徐々に開く。一時は100メートル以上離された。ここまでか…。だれもがそう思ったが、本人だけは違った。「前が見えるまではあきらめない。マラソンは最後までわからない」。代表枠を争う高橋という見えない敵もいた。生き返ったように37キロすぎで田中を逆転した。

02年4月のロンドンマラソンで当時日本歴代4位の記録で走った後、世界選手権銀メダリストは走れなくなった。昨年の世界選手権選考会は右足首骨折で出場を断念。その後も左足甲とケガは続いた。鈴木監督から「練習をやりすぎだよ」と何度も言われたが、焦りから休めない。昨年12月には右かかとを負傷。先月20日に初めて30キロのロード練習をしたばかり。不安だらけで迎えた700日ぶりのレースだった。

五輪代表のライバル高橋、坂本と対抗するためには好タイムも求められた。それでも、鈴木監督は調整不足の土佐を見て「おまえが引っ張れ」とは言えなかった。しかし、本人は分かっていた。ラストチャンスは逃さない。前半から果敢に先頭に立った。ケガの痛みはあったがリスクを承知の上で最後までアテネの可能性を信じて攻め続けた。

選考レースでは最高タイムの2時間23分57秒。土壇場でのアピールには成功した。あとは今日の代表発表に命運を託す。「これだけ頑張って選ばれなかったら、ちょっとやりきれない」と鈴木監督。土佐は「すべて力を出し切れた。(五輪代表に)選ばれたい。待ちます」と吉報だけを信じて話した。【田口潤】

 

◆高橋尚子結果知り「はあ、そうですか」

高橋のアテネはどうなってしまうのか。土佐が感動のフィニッシュを迎えたころ、高橋は千葉・佐倉の寮にいた。テレビのスイッチは入っていなかった。周囲の雑音を避けて極秘合宿中だったが、シューズに穴があき急きょ戻っていた。マネジメント事務所から結果を知らされ「はあ、そうですか」と答えたという。

残り2枠にまた有力候補が誕生した。レース後、日本陸連幹部は競技場内の役員室から動けなかった。ずらりと並ぶ、難しい顔。小掛副会長は報道陣を避け、駆け足で帰りの車に乗り込んだ。今日15日の代表選考を前に緊張が走る。沢木強化委員長は土佐を評価しながらも慎重に話した。

沢木強化委員長 「(今日は)選考レースの中で最もいいコンディション。条件がよければ記録はいいのは当然。ただ後半の驚異的な粘り、35~40キロ(16分57秒)、その後のスプリットがどれほどすごいかと言えば、びわ湖の男子より速かった。(実際は小島忠が15分12秒)。練習不足と聞いていたが、身についた技術で見事なまとめぶりだった。

高橋の優位は消えた。無風、快晴。土佐は確かに条件には恵まれたが、どの選考会よりも記録で上回った優勝者を、落選させる理由は見あたらない。選考会重視なら土佐。だが、選考基準には「選考会上位の中で五輪メダルなどが期待される選手」とあり、それに基づく実績ならば高橋が上という見方もある。かりに土佐も高橋も選ぶとなれば、1月大阪国際を制し当確といわれる坂本でさえ、記録が平凡なだけに落選の可能性を否定できなくなった。

思えば先月4日、駆け引きは始まった。名古屋回避の表明―。東京国際では気温24度と強風の中、2時間27分21秒の2位に終わった。だが、有力選手そろった1月大阪国際で優勝タイムは伸びず、2位以下は高橋を下回った。名古屋はこれまで記録が出にくいといわれる。選考の優位を確信した高橋は、五輪を見据えた回避を決断した。その時点で、周囲も名古屋国際を消化レースと揶揄(やゆ)したものだが…。

残り2枠を3選手で争う。今日15日、高橋の運命は決まる。【牧野真治】