【ブダペスト(ハンガリー)=藤塚大輔】日本記録保持者の泉谷駿介(23=住友電工)が男子ハードル界に新たな歴史を刻んだ。同種目で五輪を含めた世界大会では日本人で初めて決勝に進み、13秒19(無風)で5位入賞。21年東京五輪、22年世界選手権(米オレゴン州)は準決勝敗退となったが、今大会の準決勝を13秒16(向かい風0・2メートル)の1組1着で突破し、3度目の挑戦でついにファイナルの舞台に立った。
◇ ◇
ピストル音が鳴り、スターティングブロックを蹴り出した瞬間、泉谷の両足に痛みが走った。
「ふくらはぎをつっちゃって。もう焦りまくっちゃって」
世界で8人だけが立てる決勝でまさかのアクシデント発生。ただ、本人は冷静だった。
「腸腰筋周りを使って、足首を固めて」
とっさの対応で前を追った。
初の夢舞台は5位。「いつも通りの感じでできた」。さわやかに汗を拭った。
日本人初のファイナルでみせた驚異的な対応力。山崎一彦コーチも「ストロングポイントは状況判断」とうなずく。状況に応じ、何をすべきか-。
自分をコントロールする力は、神奈川・武相高時代に培われた。
高校2年の夏。泉谷は八種競技で全国総体(岡山)の舞台に立っていた。第1日こそ入賞圏内につけたが、第2日は疲労感から順位を落とした。チームメートの原口凛が8位に入る中、14位へ陥落。陽が落ちたスタジアムの外で、涙に暮れた。
「落ち込みました」
その日の夕食。ステーキセットがうまく喉を通らない中、目を赤くした泉谷は田中徳孝監督に尋ねた。
「どうしたら強くなれますか?」
師の答えは「とにかく練習しかない」だった。
同級生の原口や走り高跳びの渡辺尚とともに、切磋琢磨(せっさたくま)の毎日が始まった。監督に指示を仰ぐのではなく、自分たちで今は何の競技をするべきかを話し合う。休みの日には中学校のグラウンドへ出掛け、3人で汗を流した。お互いのフォームを動画で撮影し、スマホのデータはいっぱいになった。
「高め合っていけて、良い練習パートナーでした」
その日々こそが、高3時の全国高校総体優勝へとつながった。順大進学後に軸足を置き始めた110メートル障害での飛躍の下地となった。
暗闇で涙を流した夏から7年。世界一を決めるレースを終えると、トラックに膝をつき、優勝者の歓喜を目に焼き付けた。
「来年は自分もそこに立ちたい」
パリ五輪へも、これまでと同様に浮足立つことなく突き進む。
「意識はしないで、(結果の)アベレージを上げていく」
どうしたら強くなれるのか。その求道に終わりはない。
◆泉谷駿介(いずみや・しゅんすけ)2000年(平12)1月26日生まれ、横浜市出身。神奈川・武相高時代の17年に男子八種競技で全国高校総体優勝。順大で110メートル障害に軸足を置き、21年日本選手権で日本記録を樹立。同年東京五輪、昨年の世界選手権はともに準決勝落選。今年6月に日本選手権で13秒04をマークして日本記録を更新。世界最高峰のダイヤモンドリーグでは初出場で優勝。住友電工所属。身長175センチ。

