「駒澤から世界へ」を体現する。
青梅マラソンが18日、都内で行われた。30キロの部では、今年1月の箱根駅伝5区区間3位の駒大・金子伊吹(4年)が出場。1時間34分15秒で男子2位となり、大学ラストレースを駆け抜けた。
4月からは同大OBの其田健也(30)らが所属するJR東日本へ進む。夢のオリンピック(五輪)マラソン代表へ突き進む。
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ゴールテープを切る表情はさえなかった。
2位には入ったが、今夏のパリ五輪マラソン代表の赤崎暁(26=九電工)には4分29秒差をつけられた。目標タイムとしていた1時間32分台前半にも届かなかった。
「どこまでついていけるかを自分の中でチャレンジする試合でしたが、全然歯が立ちませんでした。本当に力のなさを感じました。今回は2番でしたけど、うれしさはないです」
オリンピアンとの差を肌で実感した。
駒大での4年間も、差を感じる日々だった。
「僕たちの世代は世間から見ると『花の世代』と言われていたところもあったと思います。(鈴木)芽吹だったり、花尾(恭輔)だったり、安原(太陽)だったり。強い選手が何人もいた中で、僕はあまり力はなかったんですけど」
大学3大駅伝では、2年時の箱根で5区を出走して以降は、なかなか出番が巡ってこなかった。
一方でチームは勝ち続けた。3大駅伝史上最多タイの5連勝もマークした。
出走者として貢献できないもどかしさを抱えつつ、懸命に練習を続けてきた。最上級生になると、副主将にも就任した。
その献身的な姿を、チームメートは知っている。
かつて鈴木は、金子の存在をこう語っていた。
「僕は後輩とのコミュニケーションが苦手なところもあって。ただ、金子は後輩ともコミュニケーションがとれて、自分にはないものを持っているので、金子に助けてもらっているところがすごくあります。今のチームは自分だけでいろいろとやっているわけではないです」
3大駅伝未出走となった同期の藤山龍誠も、感謝の思いを抱いていた。
「金子は当たり前のことを当たり前にやっていて。キツイことが当然という考えを持っていて、自分だけがキツイんじゃないと感じました。彼をそばで見ていると、自分も頑張らないといけないなと思わされました」
金子もまた、この4年間は仲間とともにあったと感じている。
「(藤山は)本当に仲が良くて、ジョグも一緒にやっていました。僕の中でも支えになりました。最終的に駅伝で走るということにならなかった選手もいますが、そこまでの過程や4年間をやりきる姿を、今後も忘れないでいたいです。この4年生の代だったからこそ、自分はここまで強くなれました」
自身は最後の箱根路に出走者として戻ってきた。ただ、2季連続3冠のチーム目標には届かなかった。
ここで抱いた思いを、次のステージへの糧とする。
「ただただ悔しいです。僕はもう4年生なので悔しさは晴らせません。でも今度は個人の勝負があります。僕はマラソンで五輪に出るという目標があるので、その目標を達成するために実業団で練習したいです」
小学生の頃から、五輪の舞台に立つことが夢だった。世界中が注目するスポーツの祭典。世界選手権や箱根駅伝にも憧れはあったが、「五輪に出たい」という思いは変わらなかった。
1つの照準として狙いを定めるのは、32年のブリスベン五輪。その時には30歳を迎える。不安はない。
「(JR東日本の)其田さんも活躍されています。僕もそこがピークの時期だとは思います。(最後の箱根駅伝で)走れた経験は、きっと今後の陸上人生に生きると思います」
駒澤から世界へ-。
駒大でのラストランは、次なる夢への1歩目でもある。【藤塚大輔】