新型コロナウイルス感染拡大の影響で相撲部屋の生活も一変したと、湊部屋(埼玉県川口市)のおかみを務める三浦真(まこと)さん(50)は説明する。クラスターの温床になりやすい集団生活。おかみとしては異例の医師の経験を持ち、医療従事者としての知見を活用して感染対策に努めてきた。昨年12月には師匠の湊親方(元前頭湊富士)が感染して1週間入院し、三浦さんも濃厚接触者と認定され2週間の隔離生活を送ったが、部屋に所属する力士と励まし合いながら、苦難を乗り越えてきた。

マスク姿で集合写真に納まる師匠の湊親方(手前中央)、行司の木村元基(手前左)、部屋の力士たち(写真はすべて湊部屋提供)
マスク姿で集合写真に納まる師匠の湊親方(手前中央)、行司の木村元基(手前左)、部屋の力士たち(写真はすべて湊部屋提供)

買い出しや行動履歴の管理など“おかみ業”に追われ

スーパーで大量の食材を抱えると、店内の買い物客から好奇な目線を注がれる。コロナの波が押し寄せた昨年3月ごろのこと。三浦さんは「店1軒行くたびに手袋とマスクを換えていましたね」と懐かしそうに振り返る。

日々のちゃんこの食材は、当日のちゃんこ番を務める力士が買いに行くのが湊部屋のルールだったが、力士が1人感染すれば部屋の中で瞬く間に広がってしまう。「私1人が感染する分には対応できるから」と、食材の買い出しを全て担っていた時期だ。他にも力士の行動履歴の管理、後援会とのやりとりなど、おかみとしての仕事がある。現在、協会の外出規制緩和などもあって買い出しは力士に任せているが「正直、うちから(感染者を)出してはいけないというプレッシャーがすごく強かった。かかってはいけないという雰囲気。こっちも分からなくてイライラして、モヤモヤしていた」。

当時、1カ月後には夏場所(同年5月4日に中止が発表)が控えていただけに“相撲部屋クラスター”が発生すれば影響を来しかねない。スポーツなど、イベント開催の風当たりは特に強い時期だった。協会にも迷惑はかけられないと、気持ちは張り詰めていた。

部屋頭の逸ノ城(左から2番目)らと写真に収まる湊部屋おかみの三浦真さん(中央)
部屋頭の逸ノ城(左から2番目)らと写真に収まる湊部屋おかみの三浦真さん(中央)

医療従事者の不足報道に使命感

おかみとしては珍しい医師経験を持つ。埼玉医大を卒業後に同大で働いて数年、部屋の居住地でもある埼玉・川口市のクリニックに転職。湊親方(元前頭湊富士)と結婚しておかみとなった頃も含めて約7年間、同クリニックで院長を務めた。専門は「神経耳科」。耳鼻科の中で、特にめまいや難聴の治療を取り扱っていた。

現在は退職している。転機は「怪物」の出現。14年秋場所に新入幕の場所で1横綱、2大関を破って13勝を挙げた逸ノ城が幕内に定着し始めると、部屋の状況が一変した。医者とおかみの二足のわらじは部屋運営に支障を来すと考え「5、6年前」に決断。今では場所休み期間で時間があるときに、健康診断などの手伝いで医療に携わる。

コロナ禍の現在も、テレビや新聞で医療従事者の不足が報道されると、使命感を覚える。「医者が足りない、看護師さんが足りないと聞くと、何かをしなきゃいけないのかなと考えるときもありました。でも、いっぱいいっぱいで…」。力士の行動履歴の管理、部屋の消毒、後援者や力士の家族への連絡など、雑務に追われていた。

湊部屋のおかみ、三浦真さんが1回目の緊急事態宣言が発令された昨年春ごろに部屋の力士に通達した感染対策注意事項や新型コロナ感染症の特徴
湊部屋のおかみ、三浦真さんが1回目の緊急事態宣言が発令された昨年春ごろに部屋の力士に通達した感染対策注意事項や新型コロナ感染症の特徴

自作の感染予防マニュアルを作成

初めて緊急事態宣言が発令された昨年4月、三浦さんが注力したのが情報収集だった。目を付けたのは海外のコロナ関連の報道や論文。医学部生の頃から海外の医療論文を読んで勉強することが日常だった。さまざまな治療法の結果、症状例など、得た情報を力士に平易な言葉で伝える。情報をピックアップして、自作の感染予防マニュアルを作成。部屋内の数カ所に貼り付け、力士たちが理解できるように工夫した。

感染対策について三浦さんは「相撲部屋だからといって特別な方法があるわけじゃない。一般的なことを欠かさずにやること」と“凡事徹底”を強調する。手洗いは20秒以上、外出時にはマスクだけでなく手袋も着用させる。ドアノブ、電気のスイッチ、トイレ、台所のシンクなど細かい箇所を注意するように促した。

稽古は競技の性質上、接触は避けられず湊親方も「稽古はある程度仕方ない」と力士に声をかけたという。その分、普段の生活に気を使うしかなかった。

部屋の力士は、唯一の関取である逸ノ城を含めて10人。不自由な生活を送る力士の心中を推し量りながら、三浦さんは湊親方とともに、協会が打ち出す外出自粛の意味を丁寧に、ときには厳しく説明してきた。

「力士にはいろんな制限がかかってしまい、食事も十分に楽しめていない。かわいそうだとは感じますが、彼らは相撲協会からお給料をもらって生活をしている。本場所がない中でも協会から手当が出るわけですから。なかなかそういう会社も世の中に多くはありません。だからこそ言われたことは守らないといけないと、何度も伝えてきました」。

今春から大学2年生になった長女と、中3になった長男がいる。1階が稽古場で2階は力士が住む大部屋、3階が親方夫妻の自宅。力士との接触は避けられない面もある。「うちの子どもたちも、親方の子どもということで(協会の)端っこの看板を背負っている。それで生活させてもらっている」。子どもたちにも、感染予防の意識を根付かせた。

「不要不急の外出自粛」が通達される中、部屋の中で黙々と稽古に励む部屋頭の逸ノ城(左)ら湊部屋の力士たち
「不要不急の外出自粛」が通達される中、部屋の中で黙々と稽古に励む部屋頭の逸ノ城(左)ら湊部屋の力士たち

同期の死、外出へ足重く

部屋では最古参の三段目力士、夏野登岩(かやといわ、29)はコロナ禍で外食する機会が減り、110キロあった体重は自然と100キロ近くまで落ちたという。2007年春場所が初土俵で、昨年5月に新型コロナウイルス性肺炎による多臓器不全のため28歳で死去した高田川部屋の三段目力士、勝武士さんとは同期生だった。「あいつが亡くなってしまったときはすごくショックだった。同期が死んでしまうなんて。出かけるのが怖くなってしまいました」。1年に2回は地元の群馬県に帰省していたが、昨春から1度も帰っていない。「おじいちゃん、おばあちゃんとたまに電話すると『顔忘れそうだよ』と言われます。でもどこかで菌を持ち帰ったらいけないので…」。

部屋では稽古以外、マスクを着用して生活する。大部屋での睡眠時は、9人の若い衆が布団を敷くが、距離を保つには限界がある。拳1個分でも空きをつくって、なるべく密を避けているという。

部屋で2番目の古株である三段目力士の鷹翔(おうか、28)は、部屋頭の幕内力士、逸ノ城の付け人を昨年春から務めている。まわしの手入れや関取の体を洗う「風呂入れ」、着替えの手伝いなど仕事は多岐にわたるが、コロナ禍では変化も。「関取も気を使ってくれて、着替えも風呂入れも自分でやってくれるようになりました。接触を避けるような感じです」。支度部屋で他の関取衆を見渡しても、関取本人に任せるケースが増えているという。

マスクを着用して弟子の稽古を見守る湊親方
マスクを着用して弟子の稽古を見守る湊親方

親方不在の危機、励まし合って乗り越えて

感染予防を努めても、かいくぐってくるのがコロナの恐ろしさ。昨年12月14日に湊親方が発熱の症状を訴え、PCR検査で陽性と診断された。3日間は自宅の別室で隔離していたが、高熱にうなされた。「親方も外出制限を守っていたので、どこで感染したのか分からなくて…。夜になると熱が上がって、せきもすごかった」。1時間おきに電話などを使って状態を確認。ときには「生きているかなと思って、完全防備で見に行ったりした」。

湊親方は17日から1週間入院して体調は快方に向かったが、三浦さんら家族は濃厚接触者と認定され、3階の自宅で隔離生活が始まった。期間は2週間後の大みそかまで。「そういう意味でもみんなに申し訳なかった」。毎年恒例、正月に向けて準備するおせちも作れなかった。

力士は親方夫妻を励まそうとメッセージアプリ「LINE」を使い、日々の出来事を報告してくれたという。元気な様子に癒やされた。「クリスマスのときには『プレゼント交換して盛り上がってます』という写真を送ってきてくれました。『自分たちも頑張ります』と。泣きそうになりましたね」。夏野登岩は「ただでさえ大変な状況なので、迷惑を掛けたくなかった。できることをやるしかない。うがい、手洗い、感染予防を今まで以上に気を使った」と振り返る。

24日に親方が退院し、三浦さんら家族も31日に隔離が終わった。年明けには部屋所属の行司、木村元基が感染したが、大事には至らなかった。

弟子の悩み引き出すため、変化いとわず

コロナと戦う日々は今も続くが、悪い「変化」ばかりではない。湊親方は昨年7月場所後から「個人面談」を導入。10年に部屋を継承して以来、初めての試みだ。コロナ禍をきっかけに、力士が普段感じている悩みに向き合おうと感じた。「嫌なことやストレスになったことはないかと聞き、一緒に解決策を考えた。同時に場所ごとの目標も明確に決める。今まで以上に稽古も頑張ってますよ」と語るのは湊親方。もともと「今までの相撲界の常識が全てとは思わない」と変化をいとわないタイプ。逸ノ城が鳥取城北高時代に取り組んでいた稽古や、他の部屋に出稽古に行った際に印象に残った稽古も、昨年から積極的に取り入れ始めた。

集合写真に納まる師匠の湊親方(手前中央)、行司の木村元基(手前左)、部屋の力士たち
集合写真に納まる師匠の湊親方(手前中央)、行司の木村元基(手前左)、部屋の力士たち

ちゃんこを食べ終われば、テーブルに消毒スプレーを吹きかける。そんなマメな感染対策は、当分続きそうだ。三浦さんは、自らに言い聞かせるように語った。「どうしても集団生活で、男の子ばかりで裸で触れ合う。食べるものも一緒で、濃厚接触者にならないのはありえない環境下。でも、やっぱりどうしても表に出る世界なので、何とか彼らを守らないといけない。そんなことで毎日頭がいっぱいです」。

コロナ禍に負けず、力士の“母”として部屋を守っていく。【佐藤礼征】