先日、北海道釧路市を初めて訪れた。「釧路まりも学園」を訪問するためだった。

 釧路空港に降り立って、空気の澄んだ素晴らしい場所だとすぐに感じた。また快晴に恵まれ、とても気分が良かった。空港から世界遺産にもなった釧路湿原を見ながら学園へ向かった。

子どもたちを前に語りかける著者
子どもたちを前に語りかける著者

■61年の歴史ある児童養護施設

 この釧路まりも学園は、1956年(昭31)に創設された歴史の深い児童養護施設だ。何かしらの理由があって親と一緒に暮らせない0歳から18歳までの子供たち、約50人が暮らしている。行政の各児童相談所からの要請で施設に入ってくるという。

 私が何をしに行ったかというと、学園のクリスマス会での講演に加え、体育館で運動やゲームをするためだった。

 私は子供が大好きで、子供の能力は果てしないと考えている。それくらいパワーがあるし、磨けば輝く原石を何かしら持っていると信じている。大学でも指導しているが、小学校や中学校でも随時、講演を行っている。

 「きっと元気いっぱいなんだろうな」

 こんな気持ちで、訪問した。

 最初に、このイベントを手伝ってくれるという釧路まりも学園出身の10代から20代の3姉妹に会った。1番上のお姉さんは看護師で、次女と三女は看護学校に通っているという。

 なぜ? なぜ、みんな看護師になるのか?

 実はこの学園は後援会というものが充実していて、後援会の会長を務めているのが脳神経外科医の齋藤考次先生。その齋藤先生が、卒園したあとの子供たちの支援をしている。奨学金制度を作り、看護学校に通わせたりと、子供たちの未来に光を与える存在だ。「もし、他の事がしたければ、看護学校以外の道も支援したい」と齋藤先生は言う。

 彼女たちを見つめる齋藤先生の眼差しは、とても温かいものだった。社会医療法人考仁会の理事長でもある齋藤先生は、もともと札幌にいたが、釧路に拠点を移した。

 「18歳で卒園したら終わりじゃなくて、そこからも彼らの人生をサポートしたい。卒園して、そこからは自分で何でもやりなさいというものでもない」

笑顔で子どもたちに接する著者
笑顔で子どもたちに接する著者

■「スポーツは好きですか?」

 中には、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の症状を持っている子どももいる。私自身、博士課程の大学院時代は、スポーツ科学でメンタルタフネスを研究していたが、研究室は精神保健学研究室だったこともあり、馴染みのある言葉だった。

 つまり様々な子供たちがここで暮らしている。

 もともと後援会はあったが、齋藤先生が会長になった時に「なんとかしなければ」との思いが多かったという。

 私が講演をしている間、子どもたちは、たくさんの質問をしてきたし、興味を持ってくれた。運動の時間も「みんなで協力して頑張ろう」と私が言えば、一所懸命に頑張ってくれる子どもたちばかりだった。

 海外の色んな現場に行っても「すべては教育だ」という人が少なくない。

 私は子どもたちに質問することが必ずある。

 「スポーツは好きですか?」

 アスリートだった私ができることは、スポーツを通して多くの子供たちが、友情を深めることや、相手を尊敬すること。あきらめないことの素晴らしさや、努力は格好悪くないということだ。

 スポーツを通して会話が生まれる。

 今回もスポーツの要素を含むゲームを体育館で行った。みんな体を動かした瞬間、笑顔がはじけていた。今まで下を向いていたシャイな子供たちも、急に話しかけてくる。「先生、見てた?」と。

 教育という大きなミッションに対し、スポーツが助けられることは多くある。そう今回も感じた。すべての人がスポーツを楽しむ権利があるのだ。また、それを伝えるのもアスリートの役割ではないか。あらためてそれを感じた時間になった。

 スポーツは言語と同じ役割を担っている。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)

釧路まりも学園
釧路まりも学園