安倍首相が緊急事態宣言を5月31日まで延長すると表明した。ナショナルトレーニングセンター(NTC)と国立スポーツ科学センター(JISS)が閉鎖されて今月8日で1カ月。民間の体育館や競技場も多くが営業停止。この状況がさらにあと1カ月も続く。日本だけが特別ではないとはいえ、来年の五輪を目指す選手たちの悲鳴が聞こえてきそうだ。

金メダル候補の競泳の瀬戸大也は先月、自身のSNSで「練習も全くしていない状態」と窮状を吐露していた。多くの選手たちが今、不安を募らせている。練習環境を失ったのだから当然だ。ただ、栄光をつかんだ選手たちを取材すると、試合や練習以外の時間の過ごし方が、本番で大きな力になったということが意外に多い。

1956年コルティナダンペッツォ冬季五輪のアルペンスキー男子回転銀メダリスト猪谷千春さんは当時、米国の大学に留学していた。「期末試験で平均60点以下は試合に出場できないので、机に置いた教科書を“空気いす”の状態で読んでいました。それが本番で生きた。家の中にいても強い足腰をつくることができるのです」。2年前、ご本人から直接聞いた。

64年東京五輪の体操女子個人総合で金メダルを獲得したベラ・チャスラフスカさん(当時チェコスロバキア)は、連覇を達成した68年メキシコシティー五輪直前、民主化革命の中心地となった地元プラハが、ソ連軍の侵攻を受けて練習環境を奪われた。山奥に身を隠した彼女は6年前の取材で「倒れた木を平均台に見立てバランスを取ったり、筋力が衰えないように木の枝にぶら下がったり、石炭も運びました」と明かした。

2人のエピソードを思い出したのには理由がある。先日、16年リオデジャネイロ五輪陸上男子5000メートル銀メダリストのポール・チェリモ(米国)の投稿動画を見たからだ。彼はバスタブに風呂用洗剤を垂らし、まるでウオーキングマシンのようにはだしで滑るように歩くトレーニングを公開した。自宅で脚力を鍛える奇抜なアイデアに、世界中から絶賛のコメントが寄せられている。

選手を成長させるのは充実した練習環境だけではない。トップ選手の紙一重の勝負を分けるのは、創造力であり、発想の転換であり、逆境を乗り越えた経験だったりする。今は体で汗をかくことはできないが、頭で汗をかくことはできる。試合も練習もできないこの難局を、いかに工夫して過ごすか。それが1年後の本番の結果を大きく左右するような気がする。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)