6月14日は日本サッカー界にとって特別な日である。今から25年前、1998年のこの日、フランス・トゥールーズのミュニシパルスタジアムで日本代表が初めてW杯のピッチに立った。対戦相手は2度の優勝を誇るアルゼンチン。世界屈指のFWバティストゥータをはじめ、シメオネ、ベロン、オルテガら豪華タレントが名を連ねていた。
記者席で最初に見た光景は、今も鮮明に記憶に刻まれている。アルゼンチンのシュート練習である。すさまじい弾丸がゴールネットに次々と突き刺さる。その威力と精度に度肝を抜かれた。「日本の武器」と言われたMF平野孝の左足シュートよりも強烈で、試合前から「これが世界」というレベルの差を、突き付けられた。
それ以上に圧倒されたのが、アルゼンチンの選手たちが放つ“闘気”。それまで日本の国際Aマッチの対戦国は約7割がアジア勢。欧州や南米の強豪国との対戦経験もあったが親善試合だった。W杯優勝国が日本戦に照準を合わせ、本気で真剣勝負を挑んでくる。これも日本にとって初めての経験だった。
前半28分にこぼれ球をバティストゥータに決められ、日本は0-1で敗れた。徹底した守備で最少失点に抑え、予想以上に攻めたが、パスの精度や守備の強度をはじめ、すべての面でアルゼンチンは水準が違っていた。「日本は初出場にしてはよくやった」。試合後のパラレラ監督の上から目線のコメントは今もよく覚えている。
25年前、W杯という舞台で、日本は初めて“本当の世界”と対峙(たいじ)した。その体験は選手たちにこれまでにない化学反応を引き起こした。「まったく通用しなかった。1つのキックやトラップに差がある。もっとレベルの高いところで自分を磨くしかない」(FW城)。大国の底力を肌で感じ、何かに目覚めた。日本選手たちが世界への扉を蹴破る転機となった貴重な敗戦だった。
実はこのフランス大会から、W杯の出場国が24カ国から32カ国に拡大し、アジア枠も前回までの2から、3・5(0・5は大陸間プレーオフ)に増えた。日本はアジア第3代表決定戦でイランに勝って、本大会初出場を決めた。今、振り返ると、もしあの時、W杯の出場国数が増えていなければ、日本の成長はずっと遅れていたのだと思う。
北中米3カ国で共催される次回の26年W杯で、出場国は現行の36カ国から48カ国となり、アジア枠も8・5に増える。大会の権威やレベルの低下を指摘する声は根強いが、25年前の日本と同じように、アジアの初出場国がW杯で本当の世界を体感することで、これまでと違った化学反応を起こし、それがアジアのレベルを押し上げるのだと私は期待している。
フランス大会以降、日本は7大会連続出場でW杯常連国となった。うち1次リーグ突破4度。欧州組が主力となった昨年のカタール大会では、1次リーグでドイツ、スペインという優勝経験国を撃破して世界を驚かせた。おそらく四半世紀でこれほど一足飛びに成長を遂げた国はない。
ちなみに初出場からわずか4年後の02年日韓大会で、日本は1次リーグ最終戦でチュニジアを破り、決勝トーナメント進出を決めている。偶然にもこの日もまた、4年前と同じ6月14日だった。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)



