新しい年が明けた。例年のように年明けからスポーツラッシュ。新型コロナ禍が収まらず、帰省や旅行ももとには戻らない。テレビの前でスポーツ中継にかじりついている人も例年以上に多いはずだ。

我々記者の正月も例年とは違う。いつもなら駅伝にサッカー、ラグビーと駆け回るところだが、観客同様に取材者の人数も制限されている。感染対策のためには当然なのだが、テレビ三昧が今年も続くとは…。

朝から箱根駅伝を見ていて、改めてテレビの力を思い知らされた。東京・大手町のスタートから箱根までを完全中継。各大学や選手個人のドラマも紹介するから、感情移入もしやすい。8時のスタートから、6時間しっかりと見入った。

日本テレビが箱根駅伝の生中堅を始めたのは1987年から。当時は、今のような「国民的行事」ではなかった。第1回放送の視聴率も関東でも10%台。日刊スポーツの紙面でも、高校サッカーやラグビーに比べて小さな扱いだった。

ところが、テレビの視聴率は年々急増。昨年の大会では往路31・0%、復路33・7%(いずれもニールセン・関東)と歴代最高を記録した。東京五輪の男子マラソン(31・4%)や男子サッカー準決勝(30・8%)をもしのぐ数字だ。箱根駅伝の成功は、テレビの力によるところが大きい。

昨年暮れ、箱根駅伝の完全中継を実現ささせた元日本テレビプロデューサーの坂田信久氏を取材した。当時の技術では不可能とされていた山登りの中継、不測の事態が起きた時の対応、番組編成上も難しかった長時間の生放送…、難しいプロジェクトだったし、責任も重かったという。

それでも「コンテンツとして、絶対におもしろいと思っていた」。ここまで大会が成功したことを「僕だけの力ではないけど、うれしい」と話した。80歳になった今も、毎年沿道での観戦を欠かさないという。

坂田氏は、やはり正月の「風物詩」となっている高校サッカー選手権でも手腕を発揮している。関西で行われていた大会を首都圏に移転させ、日本テレビなどで全国中継を実現。高校野球に水をあけられていた大会を、高校生のビッグイベントに育て上げた。 

76年度からの首都圏開催には苦労も多かったが、あっという間に国立競技場が満員になった。Jリーグ誕生前で日本代表の人気も低迷していた時代、サッカー界を引っ張る大会を作り出したのだ。

時代は流れてテレビも変わった。技術は進歩し、テレビ局のネットワークも強化された。箱根駅伝や高校サッカーは、ネット中継もされている。それでも、テレビが果たしてきた役割は大きい。箱根駅伝など「日本人の正月を変えた」とさえ思うほどだ。

かつてテレビのスポーツ番組といえばプロ野球と大相撲、プロレスなどのプロ興行が主だった。アマチュアスポーツはテレビで見るものではなかった。ところが、今はあらゆるスポーツがテレビやネットで生中継される。有料で放送を見ることも増えた。変化のスピードは激しい。それでも、スポーツを見て心を動かされることは変わらない。やはり、スポーツを見ることは楽しいと改めて思う。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)