赤い尻尾をぶら下げたまま佐々木朗希は足を高く上げた

岩手県立大船渡高校3年、佐々木朗希。4月6日に国内高校史上最速の163キロを記録した190センチ右腕は、秋のプロ野球ドラフト会議で多くの球団から1位指名されるであろう「令和の怪物」だ。朗希と書いてそのまま「ロウキ」と読む彼に壁はあるのか。大記録達成の少し前、3月下旬に5日間の関東遠征を追いかけた。


赤い尻尾をぶら下げたまま佐々木朗希は足を高く上げた
赤い尻尾をぶら下げたまま佐々木朗希は足を高く上げた

怪物には尻尾がある。赤いスポーツタオルが、尻ポケットから20センチほどぶら下がっている。

その尻尾を下げたまま、ブルペンで投げ始めるから驚いた。ウインドブレーカーも着たままの重めの身なりで約20球。それでも白球はうなりを上げ、東京湾からの海風を切り裂いた。

関東遠征2日目の3月28日、今年初のブルペンだった。千葉・富津市内での練習試合中、熊谷優成内野手(3年)を捕手役に投げ始めた。「球が見えない」「痛い、やばい」「ミットのヒモ切れたかも」。熊谷が1球ごとにつぶやく。「フォークはやめておこうよ」と懇願した。相棒の及川恵介捕手(3年)は試合出場中。まだ全力投球はできない。

向かい風。ロウキは「140キロ出たかどうか、くらいじゃないですかね」と言った。いや、連日ドラフト候補を取材し、こちらもおおよその感覚はある。この日の彼は145キロ前後。初投げにふさわしくない数字だ。漫画「ドラゴンボール」を思い出す。「サイヤ人は尻尾を握られると弱くなる」。孫悟空やベジータはそうかもしれないが、彼が尻尾を取って身軽になったら、どんな球を投げるのだろうか-。


穏やかな大船渡ベンチ。国保監督(左端)も一緒に座る
穏やかな大船渡ベンチ。国保監督(左端)も一緒に座る

高校野球の対外試合解禁は3月8日。バリバリ投げている他校の投手に対し、3月下旬に初ブルペン。これには国保(こくぼ)陽平監督(32)の意向も色濃く反映されている。「とにかくケガをしないかが本当に心配で…」。超高校級の逸材を育成するゆえの重圧は大きいのか。実際には、それだけではないようだ。

ある練習試合、国保監督はベンチを囲う防球ネットを触っていた。ネットのほころびを見つけると「ここの後ろには座らないで」とナインに声をかけた。「野球を嫌いになってほしくない」が指導の根本。だからケガを嫌う。「落雷とかもいつも心配しますね」。

「佐々木朗希を追いかけろ」が社命だったのに、遠征途中から国保監督の言動に目を奪われ始めた。犠飛で三塁走者の離塁は早く、相手アピールでアウトになった。すると、監督はベンチで突然大きなリアクション。「アウトイズアウト、ジャッジイズジャッジ! さぁ守備行こうか、さわやかに行こう!」

東京生まれ、盛岡育ち。盛岡一高から筑波大で野球を続け、思い立ってアメリカの独立リーグにも挑戦した。当時、チームの半分がベネズエラの選手。「彼らは明るく、でもハングリーでした」。高校教師になる前に、支援学級の講師を務めた。そこでの経験も、関東遠征で垣間見えた。


試合開始直前、リラックスした笑顔を見せる佐々木朗希
試合開始直前、リラックスした笑顔を見せる佐々木朗希

先発投手が4回14四死球と乱れた。1度も怒らず、アウトを1つ取るたびに「ナイスピッチャー!」と喜んだ。ベンチに戻ると隣に寄り添い「いいところもあったよ」と褒めた。その投手は自分の反省点と改善してうまくいった点を、自分から話し出したという。「みんな真面目でいい子。怒ったら追い込んでしまう。いいところを伝えてクールダウンさせてあげたい。クールダウンは支援学級で学んだことです」。

怒らず、見つめる。自身で考え、実践することを促す。選手全員への指導方針がそのまま、ロウキへの指導方針でもある。ぶれがない。「私はメジャーが好きで、本もいろいろ読みました。それで感じたのが、野球って監督にできることが少ないんですよね。個々人に任せられるスポーツなのに、監督にばかり権限や責任が行きがち。あえてコントロールできる方法もあるかもしれないけれど、私にはなんかピンと来ないんですよ」。

国保監督に「彼の150キロ、捕ったことはありますか?」と聞いてみた。首を小刻みに横に振り「私にも家族があるので。妻がいるので。子どももいるので」と全力否定された。フリー打撃で試しに打席に立ったら「バットにかすりもしません。コーナーにびしびしでした」。大船渡にはいわゆる「スポ根」とは無縁な空気が流れる。

ロウキは監督の方針をどう感じるのだろう。「選手のプレーや考えを尊重してくれる。だからみんな、積極的にプレーできるんです」と気に入っているようだ。小、中学校と比較的厳しい指導を受け、この先もまた環境が変わることは十分理解している。ただ穏やかな指導の下で今、体格も球速も伸ばしているのは明白な事実でもある。


高校四天王、左から星稜・奥川恭伸、創志学園・西純矢、大船渡・佐々木朗希、横浜・及川雅貴
高校四天王、左から星稜・奥川恭伸、創志学園・西純矢、大船渡・佐々木朗希、横浜・及川雅貴

3月31日、今季初登板の作新学院(栃木)戦で、いきなり156キロを投げた。試合後に今年の球速目標を問われ「160キロ以上ですかね」と答えたわずか6日後の4月6日、今度は日本代表候補合宿で163キロを投げた。170キロ、甲子園、ドラフト1位…。平成から令和への境目も重なり、周囲の期待は膨らむばかり。それらは目標でもあり、壁でもある。

岩手には盛岡大付、花巻東という甲子園常連2校が君臨する。特に昨秋に大船渡を破った盛岡大付は近年、速球対策を強化。関口清治監督(41)は「普段から170キロのマシンを打っています。佐々木君と対戦が決まってから練習しても遅い。でも普段からやっていれば」と自信を持つ。強敵を超えないと甲子園には届かない。

強豪校の対策に手をこまねいているわけではない。ロウキは「マシンは同じコース、テンポでしか来ない。そのあたりを工夫しながらやっていければ」と強敵への対抗策を話す。工夫する、考える。5日間、彼が考える場面をよく見た。まだ17歳。難しい質問をすれば、ちらっと表情に出てしまうこともある。ただそれは他者を受け止め、考えていることの証しでもある。

岩手・陸前高田市の出身。11年3月の東日本大震災では自身も被災した。この秋、プロ野球選手になれば、三陸沿岸の高校生では震災後初の快挙だ。3月28日、この質問に対して「今の小学生とか野球を始める子に、沿岸みたいに野球が盛んじゃないところでも(プロに)行けるんだということを伝えたい。そうなれば夢があると思うし、そうなれたら」と、少し詰まりながらも答えてくれた。

3日後の31日。多くのテレビカメラを含む報道陣に「甲子園への思いを」と問われると、こう話した。「岩手では公立校がかなり長い期間行っていないので、自分たちが勝ってもう1回新しい時代を作りたい。小中学生の子どもたちに頑張れば勝てるんだぞというところをしっかり見せていきたい」。

わずか3日間で言葉を整え、違う観点からの質問に応用し、堂々と答えた。1つのことから学び、さらにレベルアップさせ、成功させる。応用能力の高さに、あらゆる壁を越えていきそうなわくわく感がある。心身の育ち盛りに、ストレスとは無縁の大船渡野球部で新たな価値観に触れたことも、大きく作用しそうだ。


報道陣の質問に答える佐々木朗希
報道陣の質問に答える佐々木朗希

そんな大物だからこそ、垂れ下がる赤い尻尾が気になる。「あ、これですか? スヌーピーのスポーツタオルです。昔から、練習の時はいつもポケットに入れています。何かと便利なので」。思い入れのある品なのだろうか。

「コンビニでもらった景品ですよ」といたずらっぽく笑った。こちらも笑ってしまい、頭が回転しなかった。スポーツ新聞の記者としては、聞かなくてはいけなかった。「もしかしてハンカチ王子とか、ちょっと意識してる?」と。この先、どんどん遠くへ行きそうだ。まだ普通の高校生のうちに、笑いながら聞きたかった。【金子真仁】