異色の独立リーガーが誕生する。ルートインBCリーグのドラフト会議が、都内のホテルで行われた。福島ホープスは3選手を指名。2位の宮之原健外野手(22=東京学芸大)は日大三時代に阪神ドラフト1位の明大・高山俊らとともに夏の甲子園で優勝。その後、国立大の東京学芸大に進学した。幼稚園、小・中・高校の教員免許を取得予定だが、高校時代に控え選手だった悔しさを晴らすために福島からNPBを目指す険しい道を選んだ。

 選んだのは教師ではなく、プロの道だった。宮之原は指名を受け、ビッと背筋を伸ばした。「2位で指名してもらえるなんて。次のステージに行けると身が引き締まりました」と一気に話すと、表情が緩んだ。

 夢へのスタートラインに立った。日大三の3年夏に背番号16でベンチ入り。明大・高山、早大・吉永、法大・畔上ら、「黄金メンバー」と呼ばれた仲間と深紅の優勝旗をつかんだ。だが「日本ハム栗山監督に憧れたんです。取材に来て、学芸大に来るのを楽しみにしてると言ってくれた。この人と同じ道を歩もうと思った」と難関校の東京学芸大を受験。朝から晩まで勉強し、見事一発合格した。

 大学では教職の道を目指した。野球をやりながら勉学に励み、幼稚園と小・中・高校の教員免許を取得予定。転機は今年5月に訪れた。母校日大三で3週間の教育実習を行い、寮に泊まり込んだ。朝6時過ぎから選手とともに素振りを行うと悔しさがよみがえった。「超一流と呼ばれた選手からレギュラーが取れない悔しさがあった。今に見てろという何苦楚(なにくそ)魂で戦っていた」と心に火が付いた。4年秋の東京新大学リーグでは盗塁王と打点王を獲得。社会人チームからの誘いもあったが、進路をプロ一本に絞った。

 熱意は運命の糸をたぐり寄せた。福島岩村明憲監督(36)からの指名だ。「小学校3年の時に初めて神宮で試合を見た時に、岩村さんのサインボールをつかんだんです。ずっとあのスタイルをマネしていた」と何苦楚魂の師匠だった。

 教師という安定から、独立リーグの道を歩む。「BCを代表する選手になって、NPBの来年のドラフトにかかりたい。歯を食いしばっていきたい」。言い切ったまなざしに、輝きが満ちあふれた。【島根純】

 ◆宮之原健(みやのはら・たける)1993年(平5)7月16日、鹿児島県鹿屋市生まれ。小学校2年で東京に引っ越し、小学校3年から世田谷のツインファイターズで野球を始める。山崎中から日大三へ進学し、2年秋の明治神宮大会からメンバー入り。東京学芸大では主に1番打者で出場し、14年春に打点王、15年秋に打点王と盗塁王を獲得。178センチ、80キロ。50メートル6秒1、遠投89メートル。右投げ左打ち。家族は父、母、妹。