日本ハムの稲葉篤紀外野手(39)が28日、楽天4回戦(Kスタ宮城)の1回にヒメネスから先制の右前適時打を放ち、史上39人目となる通算2000安打を達成した。

 稲葉の大記録達成をヤクルト時代の監督、野村克也氏(76=楽天名誉監督)も喜んだ。出会いは運命的だった。94年、明大で野球をしていた息子の克則氏を応援に、神宮に足を運んだ。相手の法大に在籍していたのが稲葉だった。「2度見に行って、2度ともオレの前で本塁打を打ったんだよ。これはひとつの縁だと思った。(この年のドラフトで)編成部に即戦力の左打者とお願いしていた。当然稲葉は候補に挙がってくるだろうと思っていたら、いなかった。だったら稲葉取ってくれと」。このとき、稲葉の運命は大きく変わった。

 まだ体の線が細かった稲葉を、野村氏は大学時代の一塁手ではなく、外野で起用することにした。「本人が『よろしくお願いします』って来て、オレの返した第一声が『お前、外野やれ』って。『やったことありません』って言うから『キャンプに外野のグラブ持ってこい』って命じた。そこから一塁の守備練習はなし。でも努力家だから、フリー打撃中も、いつも外野で球追っかけてた。よくバットも振っていた。神宮ではもう24時間室内にいるような感じだった。オレも長いこと野球界にいるけど、あんな努力家は他にいない。用事があってちょっと稲葉呼んでくれって言うと、ロッカー室に見に行って『いません。まだ来てません』っていうからさ、お前らどこ見てるんだって、室内行ったらいるから見てこいって、そんな感じだった」。

 努力の人。それは日本ハムに移籍した後でも変わらない。流した汗の分だけ成績は伸び、気がつけば大記録に到達していた。