特等床山の床安が今月6日に65歳の誕生日を迎え、今場所で引退する。1966年(昭41)9月から床山一筋。「長崎の人だから、思ってることを何でも言っちゃうんだよな」と歯に衣(きぬ)着せぬ発言で、裏方の中でも低く見られがちな床山の地位向上に貢献した。

 12年初場所から番付表に床山の名前が載るようになったのは最たる例だ。直筆の書類にはんこを押し、届けた先は当時の放駒理事長(元大関魁傑)。「自分らは残り数年だけど、若い子たちに『床山になりたい』と希望をもたせてやれないのか」と直談判し、実現させた。他にもある。まだ40代だった頃、巡業などで移動する際は特等でも若い衆と同じ扱いだった。「番付社会で何十年もやってきたのに。誰も言わないから、俺が言う」。特等床山は、関取衆と同じグリーン席を利用できることになった。

 親子2代の佐田の海のまげを結うのも、あと2日。「分かっていたこと。寂しがっちゃいけない」と、引き際はわきまえている。来場所から佐田の海を結うのは、熟練の業を隣で見続け、大銀杏(おおいちょう)を猛特訓中の床輝(21)。床山業半世紀の魂は、受け継がれていく。【桑原亮】