新横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)の劇的な逆転優勝で幕を閉じた大相撲春場所。その瞬間を最も近くで固唾(かたず)をのんで見守り、思わず声を張り上げて興奮した“同志”がいた。7人の付け人たちだった。その中の1人、40歳の三段目翔傑(芝田山)だけは、稀勢の里の兄弟子という立場で新横綱を支えた。

 芝田山部屋の若者頭、花ノ国の推薦もあって横綱の付け人に就くことが決まったのは、昇進伝達式翌日の1月26日の綱打ちの日。ただ、当人には突然の知らせだった。田子ノ浦部屋付きの西岩親方(元関脇若の里)から「まだ、やめないよな!?」と念を押されても、最初は何のことだか分からなかった。「横綱の付け人がころころ代わっては困るから」と言われて、初めて大役に就くことを知った。

 「10歳も離れた年上の自分がいたら、やりづらくないだろうか」。そう思いながら横綱のもとへ行くと「よろしくお願いします」と握手をされた。ならばと心を決めた。「自分の相撲は3。横綱の仕事が7。自分なりの気遣いでやろうと思いました」。不惑にして初体験の場所が始まった。

 3日目の取組後、支度部屋で珍しく…いや、千秋楽を除けば初めて、笑顔を見せる稀勢の里がいた。談笑の相手は翔傑だった。「懐かしかったですね」と、横綱から話しかけた。

 この日のNHK大相撲中継では稀勢の里特集が組まれていた。04年初場所13日目で幕下優勝を飾った決定戦の、懐かしい場面も放映された。その決定戦の相手こそ、実は当時「駒乃富士」の翔傑だった。

 「テレビで流れたときは、お互い見合ったんです。そして取組後に『13年前ですね』と、横綱から。実は当時は国会中継のために放送されなくて、おそらくお互いに映像を見れていない。そのことを話すと『あっ、そうだった!』と」。

 稀勢の里を名乗る前の当時17歳の「萩原」と、27歳と脂ののっていた翔傑。番付こそ全く違うが、同じように真摯(しんし)に相撲と向き合う2人が、かつて1度だけ交えた肌。だからこそ、優勝を懸けた一番の思い出は余計に深く残り、だからこそ、翔傑は横綱のためにと考えた。だからこそ、稀勢の里にとっても“必要な兄弟子”だったのだろう。

 逆転優勝が起こった千秋楽の2番を見終えたとき「すごい。本当にすごい」と感動していた翔傑は、春場所最後の一番で勝ち越した自分を「横綱の力です」と笑い、感謝していた。【今村健人】