1月9日に心不全のため亡くなった3代目桂春団治さん(享年85)の追悼興行が15日、大阪・道頓堀角座で始まり、高座映像で春団治さん珠玉の「お玉牛」が“復活”した。

 21日まで同所で続く同興行では、毎回、生前の高座映像が流されるが、初日のこの日は、06年に芸能生活60年記念舞台で演じた「お玉牛」だった。

 艶と色気、そしてかわい気。春団治さんの“らしさ”が詰まった「お玉牛」は男の夜ばいを描いたネタ。扇子を牛の尻尾に見立て、くるりと回り、自分の額を打つ所作は、春団治さんにしか出せない“味”として、落語ファンの心をつかんできた。

 スクリーンに映し出された春団治さんへ、満席の客席からは大きな拍手。下げが終わり、映像が途切れても、拍手は鳴りやまなかった。

 春団治さんの名演について、門弟筆頭の桂福団治(75)は「あれだけの(動きの多い)所作があるネタでも、額縁からはみ出さない。日本絵のようです。師匠のもとで学んでよかった」と振り返った。

 あえて多くのネタに手を出さず、厳選したネタを磨き上げて高座に上がった春団治さんは、本題に入る前の「枕」も振らず、流れるように羽織りを脱ぎ、ネタに入った。所作のひとつひとつが美しく、計算され尽くしていた芸風だった。

 またこの日は、一門による口上も行われ、福団治は「こんなに集まっていただき、春団治師匠はさぞかし天からほほ笑まれていることでしょう」と、満席の客席を見渡し、感謝した。

 春団治さんは足指のけがをきっかけに「正座できんで高座には上がれん」と言い、晩年の2年半ほどは高座に上がることはなかった。それでも、自宅ではけいこを続けており、3番弟子の桂春若(64)は「ある日、自宅にうかがったら、代書屋のけいこをしてはった」と明かした。

 また、春団治さんのファンで、高校時代に弟子入りした2番弟子の桂春之輔(67)は、弟子入り当時の思い出を披露。「師匠の家に電話して『弟子に入りたい』と言いますと、『うちはうどん屋ちゃうわ』と断られた」と話していた。