海老沼匡(26=パーク24)が2大会連続の銅メダルを獲得した。ロンドン五輪から起伏の多い道のりには、常に寄り添う兄聖(さとる)さん(32)の姿があった。

 3兄弟の長男で、5学年上の「兄ちゃん」は常に匡のヒーローだった。兄は栃木の実家から、古賀稔彦らを生んだ私塾・講道学舎に入るため中学から東京に出た。幼い匡は全国で行われる柔道の大会に赴き、兄の雄姿を追った。客席で事細かに試合のメモをノートに書く姿は有名だった。短く刈った丸刈りをまねて、青々とした頭を誇らしげに、兄のようになりたいと柔道に打ち込んだ。

 それから20年あまり…。同じ講道学舎に進み、いまは所属先を同じにする。全国大会での優勝など華々しい成績を残していた兄は、ロンドン五輪直前に匡を支援するために引退。いまは練習パートナーとして行動を共にする。「いつも二人三脚で、合宿もついてきてくれて、『いまの柔道はこうだね』ということを練習前後ずっと話す。ずっとそうやってきた」と匡。「かけがいのない存在。僕の良き理解者。常々、試合で勝っても負けても、『五輪で勝てばいい』というのをぶらさずにいたのが兄」とも話す。この数カ月は特にその言葉が身に染みた。

 代表選考会となった4月の全日本選抜体重別選手権準決勝で、18歳の阿部一二三に幾度も担がれた。技あり、有効、最後は背負い落としで一本負けした。過去2年間の大会成績を重視する選考方法で代表には決定したが、「今日の試合で(五輪に)勝てるのか」と山下泰裕強化委員長が疑問をあらわにするほど、周囲からは批判的な声が飛んだ。

 そんな時、思わず、兄の前だけでは本音が出た。だらしなさを指摘する言葉に「○○さんがこう言われた」など、悩みを吐露した。2月に国際大会をパリで戦った調整期間の短さ、さらに全日本体重別前には事実上代表が内定していたモチベーションの問題などがあったが、周りは状況を鑑みてはくれない。弱音、愚痴も口をついた。

 その様子にも長年連れ添った兄は、動じない、ぶれない。「視野が狭くなっていると思った。そういうときは『こう思う』とこっちが言ってもだめなので」。あえて距離を取る。そして頃合いを見計らい、食事に誘って心を落ち着かせた。

 さらに、調整方法の変更にも着手。真面目な性格ゆえに練習から思い詰めて追い込んでしまい、試合で100%の力を出せない姿に、思い切った提案をした。ベテランでケガが増え、若い頃のように稽古から力を出し切れない。そこで、「本数を決めて集中して何本やろうと決めよう」と量より質にかじを切った。昔はやれるだけ本数をこなさないと不安だった弟も、兄の真摯(しんし)な提案に首を縦に振った。リオへ向けた調整はすこぶる順調だった。

 目標の金メダルには届かなかったが、勝った試合はすべて一本。攻める柔道を見せ続けた。表彰式後には「やるべきことをやって、この地に来てオリンピックで戦えたことを誇りに思います」と話した。一時の成績不振に左右されず、五輪に集中できるよう弟の最善を考えてくれた頼もしい兄との歩みが、2大会連続のメダルをたぐり寄せた。