就任3カ月の新米指揮官が6度、宙に舞った。鹿島の石井正忠監督(48)が通算優勝と同じ数だけ胴上げされた。24年の鹿島人生。選手で3回、コーチで8回タイトルを味わったが、監督は格別。終了の笛が鳴った時は両手を突き上げ「うれしかったのが正直な気持ち。理想の形」と喜んだ。

 公式戦4連敗中だった昨季の3冠王者に完勝した。0-0の後半15分、小笠原の左CKにファン・ソッコが頭で合わせて先制。39分には再び小笠原の左CKから追加点。途中出場の鈴木優が金崎の2点目をアシストし、3点目も後半投入したカイオが奪った。采配がさえて守備陣も完封。11年ぶりの5万超の観衆の前で盤石の6度目Vを遂げた。

 鹿島の初代主将が、クラブ初の日本人OB監督になり、3年ぶりのタイトルをもたらした。7月21日にコーチから昇格。16年ぶりの途中交代に「逃げ出したい気持ちも少し」ありながら初ミーティングを行った。選手に示した映像は一般的分析ではなく、球際で果敢に競り合う選手のプレー集。「自分が求めるのは、この姿勢。変えるんじゃなく、元に戻したい」。けが防止のため前体制では禁止されていた激しいタックルも解禁。決勝も、球際でことごとく競り勝った。

 誰もが「温和」と口をそろえるが、熱く涙もろい。監督就任後、怒ったこと2回、泣いたこと3回。サブ組を本気でしかり、セレーゾ氏との別れやサポーターの声援には涙。決勝前のロッカールームでは西が「石井さんを泣かそうぜ」と言って盛り上げた。11年に順大の後輩だった元清水GK真田雅則さんが亡くなった時も、懸命に情報を集めたのが石井監督。男にしようと、イレブンは結束した。

 昨年のナビスコ杯は9年ぶりの1次リーグ敗退。柴崎が「かつての鹿島からすれば信じられない弱さ」と嘆いた名門を復活させた。もしコーチのままだったら今季限りで退団する契約だった。「鹿島を出て修行しようと」。運命的昇格で17冠目に名を刻んだ。過去16冠はすべてブラジル人監督が獲得。日本人の初タイトルだ。王者のDNAを受け継ぐ石井アントラーズが新たな黄金時代に突入する。【木下淳】

 ◆鹿島アントラーズ 1947年(昭22)に大阪で発足した住友金属蹴球同好会が母体で、75年に茨城県鹿島町(現鹿嶋市)に移転した。91年に鹿島アントラーズと改称してJリーグの正会員に。「アントラーズ」は地元の鹿島神宮名物のシカにちなみ、枝角を意味する英語「アントラー」が由来。