日本ラグビー界を代表するスター選手として活躍し、日本代表主将、監督も務めた神戸製鋼ゼネラルマネジャーの平尾誠二(ひらお・せいじ)氏が20日午前7時16分、死去した。53歳だった。神戸製鋼関係者が明らかにした。京都市出身。自宅は神戸市東灘区。葬儀・告別式の日取りは未定。死因、死去した場所は発表されていない。最近は体調を崩していた。

 京都・伏見工高(当時)で山口良治監督の下、1981年に全国高校ラグビー大会初優勝。荒れた学校の成功物語はテレビドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルとなった。同志社大では史上初の全国大学選手権3連覇に貢献し、社会人の神戸製鋼では日本選手権7連覇を達成した。

 端正な顔立ちで口ひげがトレードマーク。バックスのセンターのポジションで抜群のキャプテンシーを発揮し、80年代後半から90年代前半の日本ラグビーをけん引した。

 日本代表キャップ(国・地域協会の代表選手として国際試合に出場した数)は35。82年に史上最年少(当時)の19歳4カ月で初キャップを獲得した。87年の第1回ワールドカップ(W杯)から3大会連続で出場。97年に34歳の若さで監督に就任し、99年の第4回大会で指揮を執った。神戸製鋼の総監督も務めた。

 神戸製鋼ラグビー部は神戸市のグラウンドで練習を行い、午後2時ごろに水上孝一ラグビー部長によって平尾氏の訃報が選手に伝えられた。

 22日に三重県鈴鹿市で行われるトップリーグのホンダ戦では試合前に黙とうを行い、ジャージーに喪章をつける予定。