【コペンハーゲン3日=吉松忠弘】16年の夏季五輪開催都市を決める国際オリンピック委員会(IOC)の投票で落選した東京都の石原慎太郎都知事(77)は、20年五輪以降の立候補について、明言を避けた。20年以降の立候補へ意欲を示していた日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長もトーンダウン。88年の五輪開催に挑んだ名古屋、08年の五輪開催を目指した大阪に続く“切り札”の東京の敗退で、日本の五輪招致活動は大きな岐路に立たされた。

 落選という結果を受けて市内のホテルで会見した石原知事は「無念です」と悔しさをにじませる一方、「フルーツはならなかったが、新しい苗を植えたと思う」と、淡々とした口調で招致活動を振り返った。

 20年五輪以降の立候補については「都民、国民のみなさん、JOCのみなさんと話しながら積極的に考えていくべき問題」と話したが、立候補するのか、しないのかは明言を避けた。東京が国内候補都市に決まった06年8月には、再挑戦の可能性について「もちろんやります」と話していたが、大きく後退した。

 会見前には招致の支援者らが開催した「残念会」に駆け付けた。約300人が石原コールで出迎え、「20年、20年!」との声援が飛んだが、石原知事は「東京としたらいい勉強になりました」と笑みを浮かべ、直接は答えなかった。

 会見では、責任を取って辞任することは「絶対にない」と断言したが、3期目の任期は11年に切れる。今回の招致活動費は関連分を含めると、公表の150億円を上回るとみられ、都の支出の適否が問われる場面も出てきそう。再挑戦へ取り巻く環境は厳しい。

 JOCの福田富昭副会長は「敗因は分析しなくてはならないが、東京にもう1度、立候補してもらいたい」と話した。シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子さんも「東京が将来の子どもに五輪を見せる意味は大きい」と再挑戦を期待した。しかし、東京への五輪招致活動の火付け役となったJOCの竹田会長は「この努力を無駄にせず、将来につなげたい」と慎重に言葉を選んだ。

 88年五輪招致では名古屋がソウルに負け、08年五輪招致では大阪が北京に負け、そして東京と、日本の3大都市で3連敗。招致活動にかかわった幹部の1人は「東京だけでなく、当分、日本が立候補するのは難しい」と厳しい表情で話した。