晩秋とは思われない日差しが照りつける宮崎でソフトバンクは再生に向けた練習に励んでいる。日本一5連覇は夢となった。それどころか、8年ぶりのBクラス。「作り上げる」のは険しい道のりだが、「崩れていく」のは何ともあっけないものである。終わってしまったことを振り返っても仕方ないが、チーム再生は反省点をつぶしてこそなし得る。来季に向けた鍛錬とともに球団としても「敗因」を多角的にしっかり探り出さなければならない。

根本陸夫監督(93年2月撮影)
根本陸夫監督(93年2月撮影)

「チームを変えるには、人も組織も変えなきゃならんのだよ。負け慣れたチームにはそういう風土が染み込んでいるんです」

そう言ってパイプをくゆらせていたのはホークス再建を託されダイエーのユニホームに袖を通した根本陸夫監督(故人)だった。弱小球団と呼ばれた負の歴史にピリオドを打ち、立て直しに向け数々の手を打った。選手補強は当然ながら、フロント改革、最大の一手は世界の王の招聘(しょうへい)だった。キャンプ地の宮崎・生目の杜運動公園も設計段階からプロデュース。12球団NO・1ともいえる設備で鍛え上げてきたホークスは「常勝」にまで上り詰めた。「一角だけで物事を判断したらダメなんですよ。その物の裏に回ったり、上下から眺めてみたりしないと。本当の形は見えてこないんです。見誤るといい方向には変わっていかない」。チーム変革期だったとき、根本氏はこんなことも言っていた。「世代交代」の掛け声の中、若鷹たちがグラウンドで汗する姿を見ながらふとそんなことを思い出した。

94年10月、ダイエーは王氏(左から2人目)の監督就任を発表し、左から根本監督、1人おいて中内功オーナー、中内正オーナー代行とガッチリ握手を交わす
94年10月、ダイエーは王氏(左から2人目)の監督就任を発表し、左から根本監督、1人おいて中内功オーナー、中内正オーナー代行とガッチリ握手を交わす

「若者は経験がないだけで、未来への爆発力はあるんです」。よくこのフレーズも口にしていた。2021年、プロ野球界の頂点を決める「日本シリーズ」が幕を開けた。20日は根本さんの誕生日でもあった。生きていれば95歳。天国から今のホークス、そして球界をどんな風に見つめているのだろうか。【ソフトバンク担当 佐竹英治】