先日の7月8日、エスコンフィールドでの日本ハム-ロッテ戦。ロッテの番記者としてバックネット裏上段の記者席に座った私は、最高のバースデープレゼントをいただいた。

先発投手はロッテ美馬学(36)、日本ハムは上沢直之(29)。脳裏に浮かんだのが、専大松戸(千葉)で指揮を執る持丸修一監督(75)の顔だった。「持丸門下生対決」。美馬は藤代(茨城)時代、上沢は専大松戸での教え子だ。なんだか心が躍った。

さかのぼること39年前の夏。茨城県水戸市で生まれ育った私にとって、野球とともに人生を歩むきっかけとなったのが1984年(昭59)夏の甲子園決勝、取手二(茨城)-PL学園(大阪)。小学校3年生、9歳の時だった。茨城県勢が初めて深紅の大優勝旗を手にした試合は今でも記憶に残っている。もちろん木内幸男監督が大好きだった。転任した常総学院(茨城)のユニホームも少年時代の憧れだ。小学校6年生の夏、祖父と2人で甲子園球場で高校野球初観戦したのも、1987年(昭62)夏の準々決勝で常総学院-中京(愛知)だ。

だがもう1人。県内で双璧となる名将が持丸監督だ。取手二が全国制覇した時の夏の茨城大会決勝で敗れた竜ケ崎一の監督でもある。竜ケ崎一、藤代、木内監督の後任として就任した常総学院、そして専大松戸。4校すべてで甲子園に出場している。元ヤクルト野口祥順らプロ野球選手も13人輩出。現役も6人おり、持丸監督の誕生日だった21年4月17日に、美馬、上沢、ソフトバンク高橋礼の3人が同時白星を挙げたこともある。今回は美馬が今季初勝利を挙げ、上沢との投げ合いを制した。

その試合後、専大松戸出身の横山陸人投手(21)に「持丸魂」の“先輩”2人の対決について聞いた。「持丸先生、やっぱりすごいなと思いました」。そして続けた。「(プロが)たくさんいる中で、どの選手も結果を出しているのがすごい。自分も今でも先生に、いろいろ聞きながらアドバイスももらっているんです。それを生かして活躍出来る投手になっていきたい」。

翌9日の日本ハム戦9回裏、ロッテ1点リードのセーブシチュエーションでマウンドに上がったのが横山だった。“先輩”2人に続くかのように初体験の緊張の中でも3者凡退。プロ初セーブを挙げた。2日連続で「持丸魂」が勝利を導いた。

今から20年前の2003年(平15)夏、私が茨城大会を取材中、球場に訪れていた名将に、ごあいさつさせていただく機会をいただいたことがある。藤代を退任したばかりの時期だった。なぜか、小学生の時に整形外科に行った思い出話をした記憶がある。「こどもの頃に病院に行った時、足をケガした高校球児がユニホーム姿のまま隣で診察の順番を待っていたんです。その時に私がボールを持っていたので『野球やっているの?』『頑張ってね』と頭をなでてくれたんです。こんなお兄ちゃんになりたいなぁ、と高校野球が好きになったんです。足に大きな“青なじみ”が出来ていたんですが、そのユニホームが藤代高校だったんです」。少しでも記憶に留めてほしいという思惑たっぷりに、あえて「青たん」を茨城弁の“青なじみ”と言った私の愚行に対しても嫌な顔をせず、笑顔で「鎌田さんも、茨城ですか?」と少し語尾が上がった口調で返してくれた優しさ。申し訳ない気持ちと、ますます魅力に引き込まれたことも覚えている。

そんな“ごじゃっぺ”(茨城弁ででたらめな人の意)な私だが、ロッテのリーグ優勝に貢献しようとしている美馬、横山、小池翔大ブルペン捕手(35、常総学院出身)の教え子に関する思い出話を伺いに、お時間をいただきたくなった2日間の“持丸デー”だった。【ロッテ担当 鎌田直秀】

2019年7月、力投する専大松戸時代の横山陸人
2019年7月、力投する専大松戸時代の横山陸人