高校野球の地方大会が7月末で終わった。日刊スポーツの新人記者が「1年目の夏」を体感。取材に汗を流した、それぞれの夏を振り返る。
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全力で駆け抜けた夏だった。猛暑の中での取材は体力勝負。正直、大変だと感じたことも多々あった。そんな中で励みになったのは「記事見ました!」「新聞買いました!」といった選手や保護者の方などからいただく喜びの声。選手にとっては新聞やネットに自分の記事が掲載されるのは最初で最後の機会かもしれないからこそ、取材で得た話はできるだけ取り上げたい。でも、実際にはそうもいかない。多少のもどかしさがあった。
東京の井上渓太郎外野手(3年)もその1人だ。初めて会ったのは6月中旬。第一印象は、時折笑顔を見せながら取材に応じてくれる好青年。夏への意気込みを尋ねると真剣なまなざしで「悔いのない夏にしたい」と、並々ならぬ覚悟を口にした。昨年の12月に右肘を手術。冬場はボールを使った練習が全くできず、春の大会も不安を抱えた状態で試合に出場した。だからこそ、万全の状態で挑める夏に懸ける思いは人一倍強かった。
迎えた夏。中堅のレギュラーとして背番号「8」をつけた井上は、献身的なプレーが随所で光った。初戦の上野学園戦では「2番中堅」で先発出場し、3安打。さらに、試合中に足をつった森田恭輔捕手(3年)に代わって8回途中からマスクをかぶるなど、攻守にフル回転した。走塁でも「日頃から一塁ベースの2メートル先まで全力疾走しようと練習からやっている」。凡打でも常に全力疾走。準々決勝の日大豊山戦は、まさにこの取り組みが勝利を呼び込んだ。1点ビハインドの延長11回の攻撃。2死満塁で打席に入った井上が放った打球は二塁正面のゴロだった。それでも「何かあるかもしれない」と、いつも通りの全力疾走が相手の失策を誘い、その間に2人の走者が生還。劇的な逆転サヨナラ勝ちだった。
チームはその後、準決勝で帝京に敗れた。試合後、泣き崩れる選手も多くいた中で、井上はエース永見光太郎投手(3年)に寄り添って声をかけていた。「自分も悔しいですけど、仲間に『ありがとう』という気持ちが強かったです」。最後までチームメートを思う姿に胸が熱くなった。
高校野球取材を終えて、選手の数だけ物語があることを実感した。その物語を全て伝えきれなかったことは心残りだが、どこかで再び取材ができることを信じて、記者としてまい進していきたい。【水谷京裕】





