野球界を飛び出した奥村武博さん(38)は、飲食業の世界に飛び込んだ。現役時代から漠然と描いていた引退後だった。知人がバーの開店準備をしている間、修業がてら別の店を手伝った。同時に調理師の資格を取ろうと学校に通い始めた。


 奥村さん(以下、敬称略) 学校に通ったのは、私の気質なんですかね。やるなら、きちっと勉強しようと考えました。将来、自分で店を出すときも調理師の資格があった方がいい。そう思って学校に通いました。


 知人が店を開くと、そこで働いた。朝から学校に通い、夜はバーに立つ。営業は深夜まで…場合によっては朝までに及んだ。


 奥村 ハードでしたね。寝ないで、そのまま学校に行くこともありました。


 調理師の免許は取った。しかし、バーでの仕事は長く続かなかった。


 奥村 1年半…2年に満たないぐらいの期間ですね。自分の力のなさを感じたんです。ちゃんとした知識がないままに飲食の世界に入って、自分が何もできない、何も知らないことに気付いた。本当にこのままでいいのか? この仕事を続けていて、将来自分が望んだ方向に進むのか。外の世界に出て、あらためてちゃんと考えた…将来と向き合ったんでしょう。

阪神時代の奥村氏(1998年3月)
阪神時代の奥村氏(1998年3月)

 奥村さんが野球界を去った翌2003年、阪神は星野仙一監督の下で18年ぶりのリーグ優勝を果たした。

 奥村さんと同期入団で同い年の井川慶投手が20勝5敗と抜群の成績を残し、最多勝、最優秀防御率などのタイトルを獲得していた。

 かつての仲間の活躍を素直に喜べない自分がいた。何をやっているのか。そして将来どうなっていくのか。不安ばかりが大きくなった。


 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 バーを辞めた奥村さんは、次に帝国ホテル大阪の調理場に勤めた。調理の手伝いや宴会場でウエーター役を務めた。

 しかし、バーでの仕事に行き詰まったにもかかわらず、なぜ次の仕事も同じ飲食業を選んだのか。


 奥村 アイデアがないんですよ。知っていることが少ないから、選択肢が少ない。他に何をしようかなと考えた時、どうしても飲食しか思い浮かばない。形態を変えて探しているだけ。大きい飲食のくくりからは出られず、狭い範囲でしか考えられなかった。


 付き合っていた彼女が、資格ガイドの本を買ってきてくれたのは、そんな時だった。

 さまざまな資格を見て、世界の広がりを感じた。野球が終われば飲食業。それしかイメージできなかったが、違う世界があると知った。

 そして公認会計士の勉強を始めた。


 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 最初は勉強の習慣付けで苦労した。合格に向けた意欲はあるが、なかなか勉強は続かなかった。


 奥村 勉強に慣れていないから、進捗(しんちょく)がよくない。成果が出ない。すぐに勉強から逃げ出したくなるんですね。気分転換と称して、友達と飲みに行ったり、テレビを見てしまったり。逃げてしまうと、より進まなくなります。勉強する癖をつけるところが、一番大変でした。


 公認会計士の試験は大きく2段階に分かれている。最初に短答式試験があり、これに合格すると論文形式の試験に進む。両方に合格して初めて資格を手にできる。

 2004年から勉強を始め、受験資格に「大学」の文字がなくなった2006年に初めて短答式試験を受けた。

 第1関門の短答式試験には3年後の2009年に初めて合格した。1度受かると、翌年から2年間は短答式試験が免除される。つまり3度は論文式試験を受けられる。

 2009年、翌2010年とも落ちた。三度目の正直にかけた2011年。奥村さんは合格発表を見るため霞が関の中央合同庁舎まで出向いた。


 奥村 それまではインターネットで合否を見ていたんです。でも、最後だと思って実際に行きました。


 しかし、不合格だった。免除は終わり、再び短答式試験から始めなければならない。


 奥村 3度落ちることを「三振」というんです。元プロ野球選手が三振を喫してしまいました。


 ショックは大きかった。


 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 この頃、奥村さんは自身が通う資格予備校の職員として働いていた。仕事などを相談している過程で、正社員として採用してもらった。同時に大阪から東京へも移っていた。つまり奥村さんは受験生でもあり、受験生の世話をする立場でもあった。

 発表の後、受かった生徒のために開かれる合格祝賀会に行った。仕事だった。


 奥村 合格者に「おめでとうございます」と言って、記念写真の撮影場所に誘導したりしていました。ホスト役ですね。


 つらい役目だった。見かねた上司が、帰りに食事に誘ってくれた。赤坂の焼き肉店に連れて行ってもらった。


 奥村 ずっと泣いていました。泣きながら肉を食べていましたね。上司の方にも「よく頑張ったよ。会計士だけが道じゃない。他を考えてもいいのではないか」と助言してもらいました。私もあきらめようと思っていました。


 ところが会計士を目指すきっかけをくれた彼女が、許してくれなかった。奥村さんの著書「高卒 元プロ野球選手が公認会計士になった」(洋泉社)に、この時の彼女の言葉が書かれている。


 「プロ野球も公認会計士も中途半端で逃げ出したら、この先もいろんな事に言い訳をし続ける人生になると思う。今、あなたに必要なのは何かを成し遂げたという自信。だから絶対にここで諦めたらアカン!」


 飲食業に固執していた時は、彼女は資格ガイド本を購入して選択肢を広げてくれた。しかし、この時は他の選択肢を遮断した。1つの道を進むよう促された。

 この彼女は、現在、奥村さんの妻となっている。状況に応じた激励、操縦術は何とも見事ではないか。


 奥村 そうですね。絶妙ですね。私をよく見ていてくれたんでしょう。


 他の選択肢を捨て、あくまで公認会計士を目指すと決めた。この決断から奥村さんの勉強ぶりは変わった。


 奥村 ギアが1段も2段も上がったというのでしょうか。ストイックになりました。合格するためにはどうするべきか。それだけを考えて生活するようになった。疲れたら科目を変えて気分転換をしたり、眠くなったら計算をするとか。


 勉強を始めた当初は、気分転換と称して遊びに行ってしまった。


 奥村 気分転換という言葉を逃げる口実に使わなくなりました。成果も出るようになり、勉強が楽しくなった。もう1度やると決めてからは充実した時間でした。


 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 2012年は2度の短答式試験に落ちた。だが、マークする場所を間違えるミスが影響したためで、実力が合格ラインに達している手ごたえはあった。


 奥村 09年に短答式に合格した時は、直前の模試もE判定で、たまたま受かった感じだった。でも、この時は力がついている実感がありました。


 2013年5月に短答式試験に受かり、同11月の論文式試験にも合格した。


 奥村 朝9時にインターネットで見ていました。でも、しばらくは認識できなかった。確認はしているんだけど、実感が湧きませんでした。9時半頃に上司から「やったな」と電話をもらって。第三者の情報で、ようやく本当なんだと認識できました。


 ようやく公認会計士の資格を手にした。勉強を始めてから、実に9年の月日が流れていた。


 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 奥村さんは現在「オフィス921」に所属して会計士として働いている。同時に「一般社団法人アスリートデュアルキャリア推進機構」を設立して代表理事を務めている。

 何をするのか。


 奥村 セカンドキャリアではなく、デュアルキャリアという考え方を皆さんに知って頂く。講演やセミナーもやっていくし、選手と直接コンタクトを取って話してもいきたいんです。

元阪神投手で公認会計士になった奥村武博氏は、昨年11月にスポーツセカンドキャリアシンポジウムで講演した
元阪神投手で公認会計士になった奥村武博氏は、昨年11月にスポーツセカンドキャリアシンポジウムで講演した

 デュアルキャリアについて説明が必要だろう。

 従来のセカンドキャリアは、ファーストキャリア…つまり選手生活が終わってから始まる。「第1」が終わって「第2」が始まるという考え方だ。

 だが、デュアルキャリアは分けて考えない。デュアルが「二重」を意味するように、人としてのキャリアを積みながら選手としてのキャリアも積んでいく。つまり長い人生の中に「選手生活」が含まれるということだ。


 奥村 二足のわらじを履くような形で引退後に備えて準備するとか、何かを勉強するという意味ではありません。野球に真摯(しんし)に取り組むことが、実は引退後の世界でも通用する能力を育てている。だから、ちょっとした意識を持ってもらうということです。


 もう少し詳しく説明してもらおう。


 奥村 例えば、赤いものを意識して街を歩くと、やたらにポストが目につく。いつも通っている道で、何も意識していないと目にも入らないのに。ちょっと意識を変えるだけで見える景色が違う。意識だけで変わるんだと伝えたい。それが一番です。


 これまでと同じ練習でも、意識を変えれば景色が変わる。得意なプレーを伸ばし、苦手分野を克服する。目的意識を持って計画的に練習する。強い相手に勝つために作戦を講じる。


 奥村 それは、すでにビジネスで通用すると思います。そういう意識で選手時代を過ごしていたら、引退した時に「野球しかやっていなかったから何もできない」ではなくなると思います。


 ドラマや映画を見ても、街行く人を見ても、ちょっと意識が違えば社会の一端を垣間見られる。


 奥村 意識が変わり、知識が増えれば選択肢は広がります。引退直後に飲食業しかイメージできなかった私が、資格ガイド本のおかげで公認会計士を目指せたように。視野を広げてほしい。知っていることを増やしてほしい。そういうことなんです。


 プロ選手のみならず、学生にもアプローチしていくつもりだ。


 奥村 学生はやりやすいと思うんです。授業に興味を持つ、学校行事を積極的に行う。それだけで違う。勉強も野球もできるに越したことないけど、なかなか難しいでしょう。ただ意識するだけでも取り組みが変わる。それを伝えたいんです。


 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 奥村さんの口調は、いつの間にか早くなっていた。自分の経験談はポツリポツリと話していたが、今後の取り組みに話が及ぶと熱を帯びていった。

 過去より、未来を見据えて生活していることがよく分かる。

 --若くしてプロ野球を戦力外になってよかった--

 この人ならば、心からそう思える日がくるだろうと思った。【飯島智則】


 ◆プレゼント 奥村武博氏の著書「高卒元プロ野球選手が公認会計士になった!」(洋泉社、定価1500円=税抜き)を5人にプレゼント。希望者ははがきに住所、氏名、年齢を明記の上、〒104・8055(住所不要)日刊スポーツ編集局「奥村氏プレゼント係」まで。締め切りは2月5日必着。

奥村武博氏の著書
奥村武博氏の著書