ナイター設備のない札幌円山球場
ナイター設備のない札幌円山球場

第103回全国高校野球選手権の南北北海道大会が15日、北北海道大会を皮切りにスタートする。会場は南大会(17日開幕)が札幌円山、北大会は旭川スタルヒン。甲子園出場を争う、北海道球児にとっての“聖地”となる2球場には野球ファンの間で知られる、あるトリビアがある。“札幌円山は隣接する動物園の動物の生態に影響するからナイター設備がない”“旭川のスタルヒン像と函館市千代台公園野球場の球聖・久慈次郎像は向き合っている”というもの。この2つの話が真実なのか、日刊スポーツで検証してみた。

まずは札幌円山だ。ナイター設備がないことで、昨夏独自開催の南大会準々決勝、札幌第一-立命館慶祥で悲劇の日没コールド劇が起こった。立命館慶祥は、2点を追う9回表に同点に追い付いたが、なお1死満塁の場面で審判団が協議を始め、午後6時51分に日没コールド。9回が成立しなかったため、立命館慶祥の2点は認められず、札幌第一の勝利が決まった。立命館慶祥の3年生は、コロナ禍で夏の甲子園を奪われ、沈む夕日に、高校球児として最後の夏までも奪われ、号泣した。

立命館慶祥対札幌第一 日没コールドでの敗戦が決まり、涙を流す立命館慶祥ナイン。スコアボードは9回表の2得点で10対10のまま(2020年8月6日)
立命館慶祥対札幌第一 日没コールドでの敗戦が決まり、涙を流す立命館慶祥ナイン。スコアボードは9回表の2得点で10対10のまま(2020年8月6日)

札幌円山にナイター設備があれば、この試合の結末は違ったものになっていた可能性もある。ナイター設備を設置できない理由に関し、球場を所有する札幌市スポーツ局に聞いてみた。「円山球場は札幌市の条例で第1種風致地区になっており、高い建築物や工作物を建てるには規制があります」。建築物で10メートル以下、工作物は20メートル以下に定められており、ナイター照明の場合は、種類によるが、後者の「工作物」にあてはまる可能性が高く、条例上の問題で、設置できないということだった。

では「動物園が近くにあるから」という話はどこから生まれたのか。同スポーツ局によると「もし仮にナイター設備をつけるとなると、という話の延長線上で“動物園にいる動物への影響もありますよね”というやりとりが過去にあった可能性はあります」。本来は条例上の理由だが「動物の生態への影響」という、仮定で出てきた話が、次第に広まったのではと考えられる。

次は北大会会場となる旭川スタルヒン球場のビクトル・スタルヒン像と函館市千代台公園野球場の久慈次郎像の向きについて調べてみた。スタルヒンと久慈は、1934年の日米野球の際、全日本メンバーとしてバッテリーを組み、ベーブ・ルースら大リーグ選抜と対戦。現在は野球殿堂入りしているレジェンドだ。

スタルヒンは日本で初めて球場名の冠になった選手。北海道旭川で育った大投手の銅像が、リアル二刀流・大谷翔平と同じ岩手出身で球聖と呼ばれる名捕手のミットを向いているという話が事実なら、野球ファンとしては球場に向かう楽しみが、1つ増えるというものだ。

スタルヒン像は現在、球場への来場者を出迎えるような角度で入口付近に建っている。その視線は道路を挟んだ自衛隊旭川駐屯地の方向を向いており、方角で言うと、ほぼ北向きになる。スタルヒン像から見ると、南西にある函館の久慈像には、背中を向けている。

うわさは間違っていたのか。旭川スタルヒン球場の管理担当者に聞いてみた。「スタルヒン像は昭和58年ごろ、球場前に移設される前は(旭川市)総合体育館前にありました。当時は久慈像がある南西の函館の方向を向いていて、球場前に移設されたときに今の向きに変わりました」。79年に旭川市総合体育館(現名称旭川市リアルター夢りんご体育館)前に建てられた際は陸上競技場方向を向いていたという。確かに久慈像のある南西だ。球場前に移設される際に向きが変わり、現在は故郷ロシアの方向(厳密には樺太)を向いている。

かつてスタルヒン像があったとされる旭川市総合体育館前の緑地。現在は「望郷の鐘」が設置されている。この場所にあった当時は南西をにある陸上競技場の方向を向いていた(撮影・永野高輔)
かつてスタルヒン像があったとされる旭川市総合体育館前の緑地。現在は「望郷の鐘」が設置されている。この場所にあった当時は南西をにある陸上競技場の方向を向いていた(撮影・永野高輔)

一方、久慈は、どの方角を向いているのか。スタルヒン像から直線距離で約260キロ離れた函館市千代台公園野球場の久慈像は、77年に建立された。ミットを構えた姿は存在感がある。視線の向きは、ほぼ北西。延長線には奥尻島があり、函館から見て北東にある旭川には向いていない。

函館市千代台公園野球場に建つ現在の久慈次郎像(撮影・永野高輔)
函館市千代台公園野球場に建つ現在の久慈次郎像(撮影・永野高輔)
北西の方向にミットを構える現在の久慈次郎像(撮影・永野高輔)
北西の方向にミットを構える現在の久慈次郎像(撮影・永野高輔)

スタルヒン像のように違う場所から移設された可能性もある。建立の中心となった久慈が所属した函館太洋俱楽部に問い合わせると、77年8月の除幕式に参加したクラブ関係者の証言を得られた。「平成6年の球場改修時に場所も向きも変わっています。最初は北北東を向いていました」。現在は三塁ベンチ裏付近にあるが、球場改修前はバックネットからやや三塁側に寄った位置にあり、その視線は建っている位置から北北東にあったテニスコートの方向を向いていたという。延長線上には旭川が入る。

久慈像の方がスタルヒン像より先にできていたため意図はなかったようだが、現在より確実に旭川の方角を向いていたことが分かった。スタルヒン像の向きが変わる83年ごろまで2体は、ほぼ向き合っていたという事実は、ちょっとしたトリビアか。ちなみにスタルヒン像のモチーフになったのは全日本チームでの投球写真で、ユニホームは全盛期だった巨人時代のもので製作されたという。確かに胸に「GIANTS」とある。

建立当時の久慈次郎像(函館太洋俱楽部提供)
建立当時の久慈次郎像(函館太洋俱楽部提供)

15日開幕の北北海道大会、17日に札幌円山で開幕する南北海道大会は、いずれも現時点では、感染予防対策をとりつつ19年秋以来の有観客開催となる。声を出しての応援の自粛や、席の間の距離を取るなど制限はあるが、小ネタを胸に秘め、久しぶりにスタンドで夏の球音を楽しむというのは、いかがだろうか。【永野高輔】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)