第1回全国中等学校優勝野球大会に出場した早実が、多くのプレッシャーをはねのけ5年ぶり29度目の甲子園切符をつかんだ。早実・和泉実監督(53)は「今までの大会で1番苦しかった。第1回大会出場校として、何とか(甲子園に)戻りたいと思っていました」と涙した。

 今夏は高校野球100周年の記念事業の一環で、第1回大会に出場した10校の現役部員各1人が、開会式で復刻ユニホームを着て入場行進する。しかも、始球式は早実OBのソフトバンク王貞治球団会長(75)とあり、聖地への帰還は命題だった。

 思いとは裏腹に試合は苦しい展開となった。「斎藤(佑樹)の時は斎藤というカードがあったが、今年はそれがなくて正直苦しかった」。5点を追う8回、監督生活で初めて円陣に加わり「つないでいこう」と鼓舞した。すると、強力打線が東海大菅生・勝俣に襲いかかった。先頭の山田淳平内野手(3年)が遊撃内野安打で出塁すると、続く玉川遼外野手(3年)が左前打を放ち、初めての連打が出た。清宮の二ゴロ、加藤雅樹主将(3年)の四球で満塁とすると、金子銀佑内野手(2年)の中前適時打で1点を返した。

 満塁の好機が続いても、長打力を誇る打線はつなぐ打撃に徹した。この回、打者14人、6本の単打に5四球で一気に8点を奪って試合をひっくり返した。加藤主将は「慌てず自分たちの野球をすれば5点はいつでも取れると思っていました。つなぎのバッティングが(8回の)8点につながりました。みんなで甲子園に行けることになって良かった」と胸を張った。

 第1回大会に出場した“レジェンド校”として勝ち残った。和泉監督は「100年前の先輩に、この後輩たちを見せてやりたいと思っていました。大舞台に出せるのが、うれしくてたまりません」。誇らしげに語る指揮官のもと、早実ナインが新しい歴史を刻む。【和田美保】

 ◆早稲田実業 1901年(明34)創立の私立校。生徒数は1204人(女子461人)。野球部は1905年創部。部員数は71人。校舎移転に伴い、01年より東東京から西東京へ移る。甲子園出場は春20度、夏は29度目の出場。主なOBは王貞治(ソフトバンク会長)荒木大輔(元ヤクルト投手)斎藤佑樹(日本ハム投手)ら。所在地は東京都国分寺市本町1の2の1。藁谷友紀校長。

◆Vへの足跡◆

3回戦8-4東大和南

4回戦12-5府中西

5回戦9-8日野

準々決勝11-5八王子学園八王子

準決勝2-0日大三

決勝8-6東海大菅生