亡き母との約束を果たした。全国高校野球選手権(8月6日開幕、甲子園)千葉大会決勝で、専大松戸が習志野を破り、春夏通じて初の甲子園を決めた。3点を追う7回に一挙7得点でひっくり返した。昨年母を亡くしたプロ注目エース原嵩(しゅう=3年)が、自ら満塁ランニングホームランを放ち、悲願を果たした。

 9回、専大松戸・原が右翼の守備に就く前に右手を胸に当てた。「甲子園へ行くと約束した、母を思い出しました」。最後の打者が倒れると、右翼から歓喜の輪に加わった。涙交じりの笑顔で仲間と喜びを分かち合った。

 3点差とされた7回に打線が爆発した。寺元啓介外野手(2年)と渡辺大樹内野手(3年)の適時打で同点に追いつき、なおも2死満塁。4番原に打席が回った。内角の直球を振り抜くと、打球は中前へ落ちた。高くはねた球は、判断を誤った中堅手の頭も越えた。打球が中堅最深部を転々とする間に原も生還した。「捕られるかと思ったが、母が打たせてくれました」。今大会自身2本目のランニング本塁打は、甲子園を引き寄せる決勝の満塁弾になった。

 昨年7月3日、母昭子さん(享年50)をがんで亡くした。大会直前の不幸に、2年生エースは調子を崩した。3試合の登板で準優勝に終わり、母と約束した「甲子園」を逃した。

 簡単に心の整理はつかなかった。練習試合後、応援に来るチームメートの母親たちの姿に、複雑な気持ちが芽生えた。「自分にはお母さんはもういないんだ」。つらい時はかばんに入れた母の写真を見たり、1人きりで仏壇に話しかけることもあった。

 それでも、周囲が支えてくれた。同居する父康二さん(55)と姉光里さん(26)が母の代わりに家事を担った。父康二さんは「料理がうまくなりましたよ」と笑う。離れて暮らす野球経験者の兄大さん(22)には電話で野球の悩みを打ち明けた。部員はもちろん、うらやましく思えたチームメートの母親たちも、積極的に声をかけてくれた。

 この日は満を持して先発したが、4回途中2失点で降板。それでも、仲間の踏ん張りで逆転し、最後は周囲の期待にバットで応えた。「自分は1人じゃない。支えてくれたみんなに感謝したい」。悲しみを乗り越え、ついにたどりついた甲子園。天国の母へ、晴れ姿を届ける。【桑原幹久】

 ▼持丸監督は茨城県の竜ケ崎一で2度、藤代で2度、常総学院で3度甲子園に出場しており、専大松戸が4校目。新制高校となった1948年(昭23)以降、4校を甲子園に導いたのは、蒲原弘幸監督(佐賀商、千葉商、印旛、柏陵)に次いで2人目。

 ◆専大松戸 1959年(昭34)に専大の付属校として創立された私立校。生徒数は1311人(女子477人)。野球部も創立と同時に創部。部員数は62人。甲子園は春夏通じて初出場。主なOBは日本ハム上沢ら。所在地は千葉県松戸市上本郷2の3621。小泉毅校長。

◆Vへの足跡◆

2回戦15-0浦安南

3回戦8-4市川

4回戦4-3船橋芝山

5回戦8-0我孫子東

準々決勝7-0拓大紅陵

準決勝3-1木更津総合

決勝7-3習志野