広島新庄が呉を下し、1928年創部以来、初めて夏の甲子園出場を決めた。一昨年は決勝で再試合の末に敗れ、昨年も決勝で敗退。“4度目の正直”で悲願を達成した。1回に本盗を絡めた重盗で先制。4回に2盗塁から2点を奪い試合を決めた。機動力野球を存分に発揮できた裏には、2年生エース堀瑞輝投手の好投があった。昨季の涙を糧に成長した左腕が、大きな扉をこじ開けた。

 87年分の重圧から解放された。136球を投げ抜いた2年生エース堀のもとに、チームメートが笑顔で次々に駆け寄ってくる。歓喜の輪の中心で、堀は喜びを爆発させた。「新庄にとって長年の夢だったので、本当にうれしい」。胸元に光る金色のメダルに負けない、笑顔が輝いた。

 2年前の夏は決勝再試合の末に敗れた。昨夏から甲子園出場は使命となった。昨センバツ、広島新庄を初の甲子園に導いたエース山岡就也(国学院大1年)が、夏の県決勝では広陵の前に屈した。1-2。差は1点も準優勝には何も意味はない。山岡から「来年はお前が甲子園に連れて行け」と言われた言葉も励みとなった。「自分はプレッシャーに弱かった。緊張から慌ててしまって球が真ん中に入ってしまうことが多かった」。当時1年生だった堀に、早くも主戦としての自覚が芽生えた。右打者対策で腕の角度を上げた。投球だけでなく、けん制や走り込みなど基礎をたたき込んだ。迫田守昭監督(69)は「技術的な指導はしていない。堀が自分で考えながらやっていた。切れとコントロール。あれは(巨人の)田口(麗斗)にも山岡にもない」と成長に目を細める。

 背番号1を背負って帰ってきた夏の決勝マウンド。前夜には山岡から「プレッシャーがあるだろうが、自分の投球をしろ」とメッセージをもらった。山岡だけではない。広島新庄にかかわってきた人たちの思いを胸にマウンドに上がった。「決勝は準決勝までとは全然違った。でも真っすぐで押していこうと思った」。初戦から1回に得点を奪って勝ち進んできた強打の呉打線を1回3者凡退で滑り出すと、気温30度を超える中でも背番号1は躍動した。9回を投げ抜き甲子園行きの切符をつかみ取った。

 田口、山岡と広島新庄の左腕エースの系譜に、堀瑞輝の名が記された。2人が破れなかった壁を破り、みんなを甲子園に連れて行く。新エースが甲子園の舞台で、また新たな歴史のページを刻んでいく。【前原淳】

 ◆広島新庄 1909年(明42)に新庄女学校として創立した私立校。07年に現校名。生徒数は392人(女子129人)。野球部は28年に創部。部員は120人。甲子園は春1度、夏は初出場。主なOBは広島永川勝浩、巨人田口麗斗ら。所在地は山県郡北広島町新庄848。久枝直校長。

◆Vへの足跡◆

2回戦5-1廿日市西

3回戦10-0美鈴が丘

4回戦3-0尾道商

準々決勝2-1如水館

準決勝4-1広島工大高

決勝3-1呉