天国で見守る「柴高野球部の応援団長」へ、聖地1勝を届ける。第93回選抜高校野球大会(甲子園)に初出場する柴田(宮城)は今日24日、第2試合で京都国際との初戦を迎える。1986年の創部から36年目で夢舞台にたどりついた。大槻和雄さん(享年74)は生前、同校の「教育振興会」会長を約27年間務めるなど、柴田ナインを応援し続けた。平塚誠監督(48)とも深いつながりを持ち、「甲子園出場」は2人の約束事だった。同校OBで1期生の淳さん(50)が、亡き父の思いを語った。

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天国から柴田の「甲子園初出場」を心から祝福している。和雄さんは18年12月、膵臓(すいぞう)がんで他界した。淳さんは「おやじが、一番喜んでいるかもしれない。生きていたら、平塚先生と抱き合いながら、喜んでいたんじゃないかな」と、どこか寂しそうに話した。

柴田ナインはわが子のようだった。淳さんは柴田1期生で、和雄さんが初代PTA会長を務めた。淳さんの卒業後は、柴田の生徒を応援する「教育振興会」の会長になった。約27年間、亡くなる2、3年前まで続けた。同校の食堂と売店も運営していたため、野球部員とは直接触れ合う機会は多かった。朝練する選手のために、通常より早く開店し、球児の小腹を満たしていた。「おやじは、柴田高校が本当に好きでした」。

和雄さんは野球未経験者で、学生時代はバスケットボール、陸上部に所属していた。「野球は好きだったのかな? 『野球部』と言うようになったのは、平塚先生になってからなので、何かきっかけがあったと思う。おそらく、誰にでも優しくて、厳しい、平塚先生の人柄だと思います」と懐かしがった。

18年、夏の宮城大会前に膵臓(すいぞう)にがんが見つかった。余命数カ月の告知。手術の施しようがなかった。意識がなくなる前日に、平塚監督と面会。最後の別れに、「何を話したかは知りませんが、平塚先生の『甲子園に連れて行きます』と言ってくれたのは、ずっと覚えています」。平塚監督は1つの大会が終わると必ず、和雄さんの墓参りに行き、結果を報告する。センバツ決定後は、土生善弘校長と一緒に吉報を伝えた。生前からの約束を果たし、平塚監督は「和雄さんの応援のおかげです」と感謝した。

センバツ発表の2日後、淳さんと妻理絵さん(50)が学校を訪れた。平塚監督には「正直、生きていたら…。本当に、おめでとうございます」と伝えた。父の死去から2年後に悲願の甲子園出場が正夢となり、「何となく、現実味がなかったけど、有言実行してくれた」と自然と胸が熱くなった。

今日24日は和雄さんの写真を持って、甲子園の応援席に駆けつける。「おやじだったら、絶対に甲子園に行くだろうな。勝ち負けよりも、甲子園でユニホームを着た姿が見たい。ほんとそれだけで十分です。元気に頑張って、無事に帰って来てくれたら」と願った。柴田ナインの勇姿を、父とともに一塁側アルプスから見届ける。【佐藤究】

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