大阪桐蔭の西谷浩一監督(52)が市和歌山戦の勝利で甲子園通算59勝目でPL学園の中村順司監督を超え単独2位に浮上した。「伝統」をキーワードに、2人の名将に、知られざるつながりがあった。

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大阪桐蔭が全国レベルの強豪として台頭し始めたとき、西谷監督が繰り返した言葉があった。「うちにはまだ、伝統がない。それをこれから、選手たちと作っていかなければ」。大阪桐蔭の誕生は1983年。1911年創立の伝統校、報徳学園(兵庫)で育った監督は、学校の歴史を作る使命をずっと口にしていた。

08年の夏、西谷監督はある記事に目を止めた。8月18日付の日刊スポーツに、17年ぶりに夏の甲子園決勝に進んだ大阪桐蔭を評したPL学園・中村順司元監督のコラムが掲載された。こんな言葉があった。「今夏の大阪桐蔭はスター不在と言われたが、1人1人が力を持つ。ある意味、中田君(翔=巨人)ら先輩が育てた力でもある。超高校級だった中田君が努力する姿を、今の選手は見てきた。(中略)伝統の力を大阪桐蔭は持つチームになった」。準決勝で横浜(神奈川)を圧倒した浅村栄斗(楽天)らナインの戦いぶりを記したコラムだった。

「その記事を切り抜いて、学校の机に入れていました。こうやって見てくれる人がいるんやって。またそれを、中村先生が言ってくださった。それがすごくうれしかった」。スクラップの理由を、西谷監督は明かした。

先輩の日々の努力、取り組みを見て、後輩はやるべきことを学ぶ。それが伝統になり、学校の活力になる。こういう学校で高校生活を送りたいと、中学生が入学を希望する。自身の経験から生まれた伝統へのあこがれ。それを中村元監督が理解し、認めてくれた。エールに思えた。

激戦区の大阪でしのぎを削り、背中を追いかけたからだけではない。目指してきたものをわかってくれた指導者の先達。それが中村元監督と西谷監督のつながりだった。【堀まどか】