広島田村スカウト部課長が、目を見張っていた。「すごく人気があるんですね。投打への球場内の反応を見ても、わかる」と、近江(滋賀)のエース山田陽翔(はると、3年)の人気に驚いていた。滋賀大会準々決勝・伊吹戦で、山田が今夏初めてマウンドに立った日だった。

人気は甲子園でも絶大。「4番、ピッチャー、山田君」と呼ばれたとき、右翼の守備位置に走るとき、観衆は拍手を惜しまなかった。

山田の存在感を「昭和のスター」と表現した関係者がいた。懐かしさ、あこがれが言葉にあった。真っ向勝負の投球、悪球にも食らいつき、ヒットゾーンに運ぶ打撃、練習の成果が見える体つき。「どれをとっても、何か懐かしい。だからあんなに人気があるんじゃないかな」と18歳の磁力を語った。

山田は対戦相手の記憶にも残る選手だった。センバツで対戦した金光大阪・横井一裕監督(47)は「ぐっとゲームの中に入っていける対戦相手。ああ、野球やってるなって思わせてくれた」と振り返った。対戦が財産になる相手。そして、ほぼ1人で上位に勝ち上がった山田のような絶対的エースはこの先、数少なくなっていくのだろう。

蓄積疲労への懸念は年々高まる。酷暑はおさまる気配がない。厳しい環境下で、5人の投手で臨んだ仙台育英(宮城)は決勝でも生き生きした戦いぶりで、東北に大旗を持ち帰った。一方、山田は準々決勝で右足がつった。初戦の走塁で、右手首を痛めてもいた。決勝に進んでも、持ち前の迫力ある投球はできなかったかもしれない。

だがエースで4番、主将を担う心意気があった。「野球は自分のすべて、というようなものがみなぎっている」と近江・多賀章仁監督(63)は山田を語る。野球が好きでたまらない。だから投げ続けたのだと思う。そんな無我夢中な情熱にも折り合いをつけねばならない時代が、やがて来るのだろうか。【堀まどか】