日刊スポーツ名物編集委員・寺尾博和のインタビュー企画「寺尾が迫る」は、朝日放送(ABC)テレビのアナウンサー・小縣裕介氏(51)の登場です。今夏の甲子園大会は、夏連覇王手の仙台育英(宮城)と103年ぶり進出の慶応(神奈川)の決勝。数々の高校野球ドラマを語り続けてきたプロフェッショナルに、甲子園ベスト3の熱戦をあげてもらった。

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寺尾 甲子園大会は仙台育英対慶応の決勝でフィナーレを迎えます。新型コロナウイルス感染のガイドライン撤廃で開催された今大会を振り返ってください。

小縣 甲子園に声援が戻ってきた感じですね。沖縄尚学戦では沖縄ならではの指笛が鳴り、花巻東(岩手)との一戦が雨で中断すると、クラーク記念国際(北北海道)のブラスバンドが生演奏を披露して手拍子が起きた。初日からタイブレークがあったり、終盤に動く試合が多かった。今年の実況でしびれたのは富山商(富山)対鳥栖工(佐賀)でしたね。

寺尾 延長12回タイブレークの末、鳥栖工が甲子園初勝利のサヨナラ勝ちを収めます。

小縣 プロ注目の選手は見当たらないんですが「ザ・高校野球」といえる極上の守り合いで、富山大会でノーエラーだった富山商も守る、守る。また鳥栖工3年生で4番の松延晶音捕手に、リリーフした1年生で弟の響君が兄貴にいいボールを投げるんです。高校野球の神髄ですよね。

寺尾 実況デビューはいつですか。

小縣 入社1年目の94年はアルプスリポートが中心で、2年目の第77回大会からです。特に実況2戦目になったセンバツ覇者の観音寺中央(香川)対宇都宮学園(栃木)はよく覚えています。後半にもつれるんですが、両チームともめまぐるしく投手、内野、外野のシフトを代えるので「わーっ、高校野球のトーナメントだな」と思いました。

寺尾 ではベスト3の3番目を教えてください。

小縣 甲子園には“ライバルストーリー”があります。過去にも田中将大さん(駒大苫小牧)と斎藤佑樹さん(早実)、PL清原和博さんと宇部商の藤井進さんの強打者対決などありましたよね。ここは昨夏の準々決勝になった高松商(香川)対近江(滋賀)です。

寺尾 高松商のスラッガー浅野翔吾君がNO・1右腕の近江・山田陽翔君からライナーでバックスクリーンに大会3本目の同点2ランを放ちました。

小縣 かつて中西太さん(高松一)が内野手の頭上を越えるライナーだと思ったのがスタンドに突き刺さった伝説をイメージさせるかのような弾道でした。

寺尾 近江は2点リードにもかかわらず、7回1死一、二塁で浅野君を申告敬遠します。でも勝負を避けた山田君が満塁から適時打2本で同点、押し出し四球でひっくり返された。

小縣 山田君は感情が表情に出やすいタイプで、浅野君を敬遠するときの悔しそうな顔は印象に残っています。浅野君は二塁打、本塁打、左前打と完勝でした。でも試合は近江が勝つんです。山田君は「試合には勝ったけど、勝負には完敗した」とコメントしました。勝ってもあんなに悔しがった投手は見たことがなかったです。

寺尾 2番目は?

小縣 これは大記録の瞬間に立ち会える緊張感と喜びですね。12年の第94回大会で桐光学園(神奈川)の松井裕樹投手が今治西戦(愛媛)で、1試合22奪三振、連続三振10の2つの大会記録を達成しました。

寺尾 まだ2年生だった左腕は6回途中まで無安打投球でした。

小縣 小学生だった1982年、佐賀商の新谷博投手が、木造戦(青森)で9回2死までパーフェクトの試合を見ているんです。「あと1人」までいきましたが、1年生の代打・世永幸仁選手に死球を与えてしまう。子供ながらすごいなと、のめり込んだ覚えがあります。いまだ夏の大会で完全試合はないし、ノーヒットノーランも松坂大輔投手以来出ていませんよね。

寺尾 松井君は被安打2の0封。22三振のうちスライダーで奪った三振は14個。今治西は「ボールが消えた」と振り返っています。

小縣 今治西はバットに当たる気配がなかったから、よく2本ヒットを打ちましたよ。球場は異様な雰囲気でした。ノーヒットノーランもあるけど、三振記録も築くかもしれないから、記録を調べながらの実況でした。藤浪晋太郎投手の大阪桐蔭が春夏連覇する年で“怪物”に出会えた楽しみがありましたね。

寺尾 ではナンバーワンは?

小縣 これも実況した09年の第91回大会決勝で、日本文理(新潟)が中京大中京戦(愛知)の6点を追う9回2死無走者から5点を奪った壮絶な一戦です。

寺尾 あの試合での「つないだ! つないだ! 日本文理の夏はまだ終わらなーい!!」は名実況として語り草になりました。

小縣 こちらも「あと1アウト」で中京大中京が優勝だなとスタイバイしかけたところ、あれよあれよの1点差でしたからね。

寺尾 4対10の9回表は簡単に2アウトになりましたが、日本文理のエース伊藤直輝君がベンチ前でキャッチボールを始めるんです。あのセリフはどのタイミングで生まれたのですか?

小縣 伊藤君がキャッチボールを始めたのは中継でもとらえていました。その後に打線がつながって打席に入る前にスタンドから「伊藤っ! 伊藤っ!」とミラクルを期待するコールが起きるんです。個人コールを聞いたのは初めてでした。その伊藤君が2点差になるヒットを打った。その瞬間でした。

寺尾 1点差まで詰め寄りましたが、最終的にエースで4番の堂林翔太投手を擁した中京大中京が10対9で逃げ切った。

小縣 でも勝者と敗者のコントラストは正反対だったんです。優勝インタビューを受ける堂林君が泣いてるんです。ほっとした涙でしょう。でも負けても笑顔の伊藤君なんです。「グッドルーザー(たたえられる潔い敗者)」という言葉がありますが、その球児の姿に高校野球は勝ったチーム、選手たちだけが勝者ではないんだなとつくづく思いましたね。

寺尾 日刊スポーツに漫画家で新潟出身の水島新司さんが「勝った気にさせてくれた敗戦です。ありがとう故郷の球児たち」とメッセージを寄せました。

小縣 実はぼくも生まれが新潟県なんです。父親(巌氏)が転勤族で1歳ぐらいまでいました。小学生で初めて甲子園に連れていってもらったのが、荒木大輔さんの早実戦です。それが今に至るですから不思議です。日本文理戦であのフレーズを口にしたこともあって大井道夫監督の退任パーティーに「熱闘甲子園」を担当していた長嶋三奈さんと2人が招かれたのも、なにかの縁でしたね。

寺尾 球数制限、タイブレークなど変化する高校野球をどうとらえていますか。

小縣 もうこの流れは仕方がないですよ。19年岩手大会準決勝で完封勝利した佐々木朗希君(大船渡)が花巻東との決勝で登板しなかったときは「えっ!」と思ったし、賛否渦巻きました。でも今は日本を代表する投手に育っています。もう松坂大輔君のように延長17回、250球を投げることはないし、複数投手が投げています。でも何か変わらないものが、どこかに潜んでいると思うんです。ハードは変わっても、ソフトは変わっていない。変わりゆく甲子園ですが、こちらも変わらぬ魂で、言霊の力を意識しているつもりです。(敬称略)

◆小縣裕介(おがた・ゆうすけ)1971年9月29日、新潟県生まれ、神戸出身。朝日放送テレビ・アナウンサー。プロ野球をはじめスポーツ中継を担当、ABCラジオのワイド番組「おはようパーソナリティ小縣裕介です」(月曜日~木曜日、午前6時半~9時)に出演している。