清原の甲子園は、最高の結末で終わった。慶応(神奈川)は夏2連覇を狙った仙台育英(宮城)を下し、107年ぶり2度目の優勝を成し遂げた。

PL学園時代に甲子園で通算13本塁打を放った清原和博氏(56)の次男、慶応(神奈川)の勝児内野手(2年)はベンチスタートだったが、8-2の9回先頭、代打で登場。名前がコールされると大歓声が湧き上がった。スタンドからの応援歌「若き血」の大合唱の中、清原は冷静にボール球を見極め、四球で出塁。代走が送られた。

甲子園全5試合でスタメンはなかったが、チームの勝利のためにと献身的な姿は際立っていた。準々決勝の沖縄尚学戦では、0-2の6回表に先頭打者として代打で登場。「9番、鈴木くんに代わりまして、バッターは清原くん」のアナウンスで大歓声と拍手が起こり、劣勢ムードが一変。清原は投ゴロに倒れたが、その後に打線がつながって6得点を奪った。チームのためにと、仲間を鼓舞し続けた。

わずかに単位が不足し1年を2度経験したため、規定により2年生ながら最後の甲子園の夏だった。父のようなアーチは描けなかったが、父に続いて夏の日本一の頂点に立った。チームの「エンジョイベースボール」を仲間とともに体現した、忘れられない夏になった。

 

◆清原の甲子園成績

【センバツ】

・2回戦・仙台育英戦

<1>左前打

<2>二ゴロ

<3>三振

<4>左飛

<5>三振

 

【選手権】

・2回戦・北陸戦

<1>左飛

・3回戦・広陵戦

※出場なし

・準々決勝・沖縄尚学戦

<1>投ゴロ

<2>三ゴロ

・準決勝・土浦日大戦

※出場なし

・決勝・仙台育英戦

<1>四球

 

◆清原勝児(きよはら・かつじ)2005年(平17)5月1日、東京都渋谷区生まれ。慶応幼稚舎出身で、オール麻布でプレー。小6時に12球団ジュニアトーナメントのジャイアンツジュニアに選出。中学時代は世田谷西シニアで全国大会出場。慶応では昨秋からメンバー入り。名前の由来は「勝つ、こどもで勝児」。好きな選手はカブス鈴木誠也。尊敬する人は両親。将来の夢はプロ野球選手。兄は慶大野球部新3年の正吾内野手。175センチ、80キロ。右投げ右打ち。